『かくかくしかじか』ネタバレ

 東村アキコの自伝的マンガを東村アキコ自身が映画化。制作に彼女のプロダクションの名前がクレジットされているし、さらに脚本も彼女みずから手がけた。
 大泉洋のキャスティングも3年越しの念願だったようだ。
 筋書きはシンプルなので、脚本、演出、演技の繊細さにすべてがかかっているが、これは見事に成功していると思う。
 特に、アキコ(永野芽郁)が美大に受かってからのぐうたらな感じが、痛いほどわかる。永野芽郁の脚本の読み込みが深いのだと思う。
 子供の頃からマンガ家になりたかったアキコが、日高先生(大泉洋)の猛特訓で美大にはいることができた。画家のたまごとして歩き出したアキコだけれども、マンガ家としてはまだ一歩も踏み出していない。夏休みに日高先生といると描くことができる絵が金沢に1人でいると描けない。
 アキコ本人の意識ではぐうたらで怠けているのだが、実際は、すでに何者かになりつつある画家としての自分と、まだ何者でもないマンガ家としての自分の葛藤にずっと苦しんでいる。日高先生からの電話は取る前にわかったのは、実は日高先生のことを考え続けていたからに決まっている。
 その辺のただのぐうたらなキャンパスライフに見せつつ、その微妙な鬱屈を描く描き方が絶妙に優れていた。キャンパスライフを楽しんでいるように描きながら、楽しんでるように見えない演出と演技が素晴らしかった。
 それがあるので、卒業後、ようやくマンガ家として、日高先生と決別するシーンは思わず泣けた。日高先生とアキコのどちらにも愛があるのがわかるだけに、その決別がつらかった。
 しかし、結局はその決別のために師弟という仮初の関係を結ぶ。あの美しい日々とアキコが振り返るその日々は結局捨て去られるためにだけある。
 そういうイニシエーションを経験できる人はごく僅かだと言えるのだろう。大袈裟でなく、出家とその弟子とかの法然親鸞の関係をマンガ家の実話に忍ばせたような話なのだ。
 日本のアートとマンガの世界が非常に成熟しているからこそ、こういうことが起こりうるのだろうと思う。


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