泉屋博古館のリニューアルオープン展に20日に出かけていたのだけれども、ついでに立ち寄った金地院がすばらしかったので、こちらの記事は後回しになった。京都の場合は美術館のキュレーションを町が超えてくる。
それと、写真はおことわりという美術館もあるので、ブログを書こうという場合、手間なの。
東京も変わらないけれども、上野の東京国立博物館と国立西洋美術館と、竹橋の東京国立近代美術館、私立でもアーティゾン美術館が、一部の例外を除いて撮影可なので、そういう印象はある。
六本木一丁目にある泉屋博古館の東京分館には度々訪ねたが、京都の本館には初めて来た。

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こういうものがあると根津美術館を思い出す。あちらは表参道にあの広大な庭が隠れていることに驚くが、こちらは南禅寺別荘群のはずれにこれがある。あちらには明治神宮の森があるが、ここが古都であるのを改めて認識させられる。こちらには森ビルがないからね。


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沈南蘋を敢えて沈銓と号でなく名で表記するところが渋い。こうやって並べると沈南蘋の技法を伊藤若冲が学んだのは間違いなく思われる。違うのはその写実的な技法を意匠的な構図に利用した点だろう。

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蝶といえば三岸好太郎を思い出すが、ここに死の匂いがするかどうか。むしろ、楚蓮香の周りに舞い遊んでいるかんじがする。

ラドンと見紛うこの異形の鳥を見よ。もし、東洋の画家が鳥を描くならこうありたい。鳥は鳥だから飛ぶのであって翼があるから飛ぶのではない。それが表現できないなら敢えて絵に描く意味あります?。
この小さな墨の痕が巨大な鳥に見えることが絵だと思うんです。
泉屋博古館では6/21から8/3まで、リニューアルオープン展その2が、今度は近代の作品を中心にあるようです。