観たけど評に困る映画 まとめてネタバレ

『愛されなくても別に』

 ヒルマ・アフ・クリントについての岡崎乾二郎の解説を聞いて、半世紀くらい前から言われ始めていることだけれども、わたしの中では、ヒューマニズムの終焉ということがにわかに現実味をおびてきている。
 この映画がとりあげている愛は、まずは母性愛だと思うが、母性愛がヒューマニズムの正体かもしれず、そもそも母性本能が似非科学であるし、母性=女性=弱者=善というフェミニズムの屋台骨を支える大原理に対して、事実の側面から地動説をとなえる人が現れるのはむしろ当然という時期なんだろう。
 『でっちあげ』のところでも書いたが、モンスターペアレントって言葉が成立したのはようやく今世紀に入ってから。女だから、母だからってだけで無批判に信じてたらえらいことになるぞって、考えてみればあたりまえのことが受け入れられてからまだ20年もたってない。
 「愛を言い訳にしてんじゃねえ」というこういう映画は、これからも試みられていくだろうし、馬場ふみか、南沙良本田望結など引きのある女優を起用して挑んだ考えさせられる映画だったのだけれど、個人的な好みからすると、ちょっとセリフに重きが置かれすぎているかも。高望みしすぎかなぁ。
 そこが何か書くのに困ったところなんだけど、破綻がないというか、キャラが典型的すぎるというのか、よかったと思うのでこう書くとディスってるみたいになるので書きにくかった。教養小説みたいな感じがしないでもないというか。

aisare-betsuni.com


『夏の砂の上』

 オダギリジョーはもともと九州ネイティブなんだけど、三石研の存在感には負ける。一昔前なら三石研が主役だった気がする。
 それにこれオダギリジョーが主役みたいな作りになってるけど、ほんとは松たか子と高石あかりの対立にストーリーの核はあった気がする。一見、オダギリジョーが主役に見えるけど、彼は狂言回しにすぎなくて、彼の周りの女たちだけが前に進んでいく。彼は取り残される。そういう悲哀がちゃんと見えてるかというと、最後に怪我してしまうあたり、それじゃない感がもやもやした。それやるとブレる。この人が前に進めない理由はそれじゃないから。
 そういうわけで何かこうずっと芯をくってない感じですすんでいく。造船不況って時代背景もちょっとずれてる感じもした。

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『ストレンジ・ダーリン』

 フェミニズム映画。これは別に評には困らんか。ただただ面白いって意味で、特に書くことない。B級中のB級。この映画はネタバレしたら一気に楽しみが半減する。閲覧注意。

 だいたい「この映画は全部で6つのチャプターに分かれてます」ってまず紹介しておいて第三章から始めるあたり人を食ってる。
 その第三章で老夫婦の家に逃げ込んでくる女とそれを追ってくる男がいたら、男が犯罪者で女が被害者だと思うでしょう。けど、実は女がシリアルキラーで男は警察官なのよ。これがこの映画のすべてです。
 でも、これ聞いたら観に行く気なくなるかっていうと、案外そうでもないかも。アメリカがポリコレにうんざりしてるって話はよく聞くけど、それに続いて、くそフェミにもうんざりしていても驚くほどのことはないだろう。
 「あの女ひでぇな」ってわかった後、警官がぶっ殺されちゃって、そのあと現場に駆け付けた警官の男女コンビの女の方が、女が被害者だと即断して、現場を保存しろって言ってる男の警官を振り切って女を助けちゃう。
 それで助けてくれてありがとうっていって女の警官の方は逃がしてもらう。男の警官の方は頭ぶち抜かれる。フェミニストが見たら脳汁出るシーン。
 ところが最後に町まで乗せてってもらおうとしたネイティブアメリカンの女性に、返り討ちに会って腹ぶち抜かれる。くそフェミざま見ろってシーン。
 「なんでこんなことしたの?」と聞かれて苦しい息の下から「ときどき悪魔が見える」と。何だよ。くそフェミの上にクリスチャンかよ、このくそアマよ。
 と、スカッとしたい人にはおすすめ。

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『来し方行く末』

 中国映画。『西湖畔に生きる』の人が出てる。
 主人公は、煮詰まってる脚本家の卵。食いつなぐために、伝手を頼って葬儀で読まれる弔辞の代筆をしている。日本ではそういう職業はありえそうにないけど、中国にはあるのかもしれない。もしあるとしたらすごく中国的だし、中国の今を切り取るのにすごくいいモチーフだと思う。
 現に映画全体のトーンはそんな具合にしみじみと進んでいくんだけれど、主人公と同居している男性がいて、だから、同性愛者なんだなと思ってたら、そうじゃなくて、その人は主人公が書きかけているシナリオの主役だった。つまりイマジナリーだったわけ。なんでそこでファンタジー乗せてくるのかわからない。
 葬儀の弔辞という形でいろいろな中国社会の断面を描きながら、脚本家志望の主人公が脚本を書きあげるなり、書き上げられないなり、書いたものが成功するなり、失敗するなり、それはいろいろありうるけど、書きかけの登場人物が出てきて会話するとか。それはちょっと違うと思う。
 ストレートで勝負しなきゃならない場面でスローカーブで逃げて自滅するパターン。
 そこに目をつぶって「いい」とも言えるんだけど、「うーん」ってなっちゃう。

mimosafilms.com