ショーン・ベイカー 初期傑作選から 『スターレット』ネタバレ(オチまで言う)

 夏風邪は冗談じゃなく、ショーン・ベイカー初期傑作選の『テイクアウト』は見逃してしまった。9月に京都でやるみたいなので出かけるかも。
 『フォー・レター・ワーズ』(2000)、『テイクアウト』(2004)、『プリンス・オブ・ブロードウェイ』(2008)、『スターレット』(2012)。
 『テイクアウト』は見逃したけれども、個人的な感想としてはちゃんと年代順によくなって見えた。
 『フォー・レター・ワーズ』は、良くも悪くも何も感じない。まで言うと言いすぎか。うざいアメリカの大学生がじゃれてるだけ。同じようなモチーフでも『アメリカン・グラフィティ』とは雲泥の差なのは、扱ってる時代の差もあるかもしれないが、クウェート云々のセリフもあるので、若きケン・ローチとも噂されるショーン・ベイカーともあろう人が、情勢に無関心であったはずもなかったとすれば、世界観が小さすぎる。この男子校ノリはただただうざい。それをうざがる女子も最後に出てくるけど付け足しだな。
 で、『テイクアウト』でいきなり違法移民アジア系の話だから、ここから仕切り直し、つうか、遡ってみると『フォー・レター・ワーズ』はほんとに習作というより練習って感じ。
 ショーン・ベイカーといえば、この企画自体が、『アノーラ』のまさかのカンヌ、アカデミーw受賞があって成立したには違いないが、わたしは『アノーラ』より『スターレット』の方が好きかもしれない。
 ショーン・ベイカー作品は『フロリダ・プロジェクト』、『レッド・ロケット』、『アノーラ』と、今回の3作品。観たばかりってせいもあり『スターレット』がいちばん好きかも。タテツケがよくてオチもよい。
 わたくし自分のセンスがベタすぎんかと疑わぬでもないが、この『スターレット』のオチは「そう来たか」って感が半端ない。最後のシーンに向けて収斂していく感じが、この映画にかぎらず好きなんだろうな。
 スターレットは主人公の名前では全然なく、主人公が飼っている犬の名前。主人公の女性ジェーン(ドリー・ヘミングウェイ)は、とうてい素人のお姐さんとは思えないほどきれいなんだけど、そこにちゃんと必然性がある。映画の主人公だからキレイってわけじゃなく、主人公がきれいなのは彼女がAV女優だから。
 しかも、どうも売れてて羽振りがいい感じ。メリッサっていう友達(Stella Maeve)の家に間借りし始めるんだけど、家具を揃えるにあたってとりあえずガレッジセール(ヤードセールと言ってた)をめぐって適当に買い漁ったなかのひとつの水筒(THERMOSって普通名詞化してるんだね)にけっこうな額の札束が入ってるのを見つける。
 私ならありがたく頂戴して天下国家のGDPに貢献しようとするのだけれど、ジェーンは迷った末に返しにゆく。けど、相手はセイディっていう偏屈な婆さん(Besedka Johnson)で「返品おことわりって言ったよね」みたいなことでドアも開けてくれない。
 じゃあ、ってんでその金を使いまくってトラブルに巻き込まれる、かと思いきや、売れてるAV嬢は生活に余裕があるから、セイディの買い物の送り迎えとか、何くれとお世話し始める。
 で、このふたりの女性に友情が芽生え始める、とかそんな話ではない。そこらへん、『フォー・レター・ワーズ』から比べるとすごい進化だと思う。「対幻想」とか言いたくなる。『レッド・ロケット』の主人公も同じ業界で働いてる男性だったけど、この深みはなかった。
 友達のメリッサも同じ業界で働いてるけど、こっちはジェーンほど売れてない。つうか、売れてる売れてないの問題ではなく、いろいろトラブルを抱えてる。そのメリッサがジェーンのお金を見つけちゃう。スターレットが引っ張り出しちゃうってのもうまい。ファム・ファタルならぬ犬・ファタル。
 だから、メリッサがその金を使っちゃってトラブルに巻き込まれる、と思うでしょう。ところが、メリッサはそういうことはしない。これもうまい。そんなわかりやすい悪人はひとりもでてこない。半分ヒモみたいな男と暮らしてる女のブライドは、いくら困ってるからといっても、友達のカネに手を付けるなんてことはしない。そこのリアリティがこの人の映画がケン・ローチっぽいと思えるとこなんだと思う。
 この辺のリアリティを維持し続けることが最後に効いてくる。『中山教頭の人生テスト』の時にも思ったけど、先生のくせにカンニングしたらそれはばれるんじゃなきゃ嘘だと思う。
 セイディも見知らぬ、しかも、見るからに玄人な感じの若い娘が、理由もなく親切にしてくれるって事態に、なにかしらのストレスを感じ続けてる。ジェーンがAVのフェスに出るあいだ、スターレットの世話を任されてえらい目に遭ったりして、いやになったりするんだけど、ちょっとしたラッキーで機嫌を直して、ジェーンとパリ旅行にでかけることにする。
 その費用はジェーン持ち。それはもとはと言えばあの水筒のカネなんだけど。それを知ったメリッサが烈火のごとく怒る。たぶん、単にお金を返したんならそんなに怒らなかったと思う。「パリ旅行って何?。私が困ってるの知ってるでしょ?。お金のこと知ってるのよ。友達に用立ててくれる気はこれっぼっちもないの?」
 で、メリッサはセイディのところに行って全部ばらしちゃう。「パリ旅行のカネはあんたのカネなんだよ。ジェーンは後ろめたさであんたに優しくしてるだけ。ほんとの友情じゃない」。
 そう言われたセイディの表情が素晴らしかった。
 パリに向かう日、空港に行く前に亡くなった旦那の墓にちょっと寄ってよってセイディは頼む。ジェーンはそれまでもその送り迎えは何度もしてたから。折にふれて挿入されてきた墓参りのシーンがそこで生きてくる。
「飛行機に遅れるとまずいよ。帰国してからじゃダメなの。」
「じゃあ、あなたが花だけ置いてきてよ。」
ジェーンが花を供えに行くと、亡くなった旦那さんの墓の横に娘さんの墓を見つけちゃう。セイディはパリ行きの寸前に、ジェーンに亡くなった娘さんの墓に花を供えさせたわけ。
 見事なエンディング。そこまでおとぎ話のように進んできた物語が突然リアリティの枠の中にがっちりと嵌まった感じ。落語のオチって何かといえば、日常のたわいない枕からだんだんと非日常にひきあげた聴衆をもういちど日常に引き戻す行為だと思う。その意味では、この映画のエンディングは見事なオチだともいえると思う。
 あの後、ふたりは空港に向かい飛行機に乗り込みパリ旅行を楽しむだろう。帰国してからも関係は続くかもしれない。だんだんと離れていくのかもしれない。ただ、真実はあのエンディングの瞬間にだけある。
 なんでこの映画が日本未公開なんだろうと思うけど、いい映画で日本では観られていないものがいっぱいあるんだろうなと思わせてくれる。ラストまで書きましたが、だからといって観る気がなくなるって映画でもないと思う。いずれにせよ、ネタバレの警告はしましたから。

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