『ワン・バトル・アフター・アナザー』ネタバレ

 ポール・トーマス・アンダーソン監督はアメリカをよく知っているってことなんだろう。右や左の論客、デマゴーグスタンダップコメディアンなどなどをひっくるめて黙らせる作品力。
 最低な下ネタから喫緊の政治テーマまで、ひとつの串で貫き通して、「アメリカってこれだろ」と、ドカンと置かれる肉塊の質の高さ。
 吉田健一がイギリス料理とフランス料理を比べて言っていたのは、とかく不味いと言われるイギリス料理だけど、牛でも豚でも鶏でもその品種にヘレフォード、アンガス、ショートホーン、など、イギリスの名が付いているものが多いのは、他ならぬイギリスでそれが品種改良されたから。
 イギリスは素材の味を追求するのには熱心だが、料理の技術を高めることにはあまり興味がなかった。フランス料理の行き方と、逆とは言わないが、安い肉を旨く食うよりも、旨い不味いよりも、よい肉を食おうとする。旨い料理を食べたいという欲求とよい肉を食べたいって欲求では思想が違う。
 こんな話を持ち出しているのは、ウエス・アンダーソン監督の『ザ・ザ・コルダのフェニキア計画』と比べてしまうので。いつも、どっちのアンダーソンだったっけ?、と思う上に、今回はベニチオ・デル・トロまで被ってるし。
 ウエス・アンダーソン監督がフランス料理で、ポール・トーマス・アンダーソン監督がイギリス料理だなどと言うつもりはないが、今回の二作品を比べると、ポール・トーマス・アンダーソン監督の、アメリカという食材の吟味の仕方が抜群にうまいなと思わされる。
 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の油田開発者と胡散臭い新興宗教家も開拓史のアメリカに典型的な人物というわけではなかった。しかし、アメリカでなければ生まれえなかったろう人物たちにはちがいなかった。同じようにユニークな人たちを描きながらも、ポール・トーマス・アンダーソン監督の作品は、人物が生まれてきたその土壌を強く感じさせる。
 今回の映画『ワン・バトル・アフター・アナザー』では、ショーン・ペンの存在感が圧倒的。一瞬、ショーン・ペンか?と思うほどの老けづくり(?)にも目を奪われる。
 ショーン・ペンは『ドライブ・イン・マンハッタン』が酷かったので、もうダメなのかなと思いかけていたけど、今回の怪演は、さすがの復活劇でした。
 この映画はいわばアメリカ版『「桐島です」』なわけ。アメリカ版桐島が、レオナルド・ディカプリオ。『「桐島です」』は実話だから仕方ないが、ポール・トーマス・アンダーソン監督の映画的な語彙の豊富さに驚かされる。
 しかし、ストーリーの構造はむしろ呉美保監督の『ふつうの子ども』を思い出させる。レオナルド・ディカプリオ演じる爆弾オタクは、明らかに思想的にはどうでもよくて、過激な女性闘士テヤナ・テイラーに惹かれているだけ。
 そしてゴリゴリの白人至上主義者の警官ショーン・ペンもまた、ゴリゴリのマゾヒストとして、ドミナとしての彼女を追い求めているだけ。そういう下半身事情を通奏低音として、表向きはなぜか極右と極左の政治闘争のようなはた迷惑なドンパチが繰り広げられる。
 原作はトマス・ピンチョンの1990年刊の『ヴァインランド』だそうで、最初の構想は20年前。実際に動き出したのも6~7年前だそうだが、移民管理局1CEの保護を名目にトランプが州兵を動かそうとしてニュースになったのはつい先月のこと。
 チャーリー・カークが頸動脈を撃ち抜かれてアメリカの分断がもはや後戻りできなくなったのもつい先月。まるで今の時代を予見していたかのような。あのチャーリー・カークが首から血を噴き出してるYouTubeがこの映画の予告編みたいにさえ思える。それでいて『シビル・ウォー アメリカ最後の日』のような深刻な感じはない。どこまでもエンタメ。
 ひどい話なんだが観終わってイヤな感じにならない。「ま、なるようにしかならねえか」って気になる。壮大なホラ話のようでいて、ニュース解説を聞くよりはるかに今の現実を見せられているような気になる。あまりにも図星で笑っちゃう。
 ショーン・ペンレオナルド・ディカプリオベニチオ・デル・トロ三者の演じてるキャラの立ち方がすばらしい。それぞれが生きている社会の空気まで見事に体現している。脚本もすごいし、それを演じ分けるこの三人の名優もすごい。
 ちなみにこの映画を観て思い出した映画があって、それは、ロバート・レッドフォード主演の『ランナウェイ/逃亡者』という、邦題はぱっとしないけど原題は「Company you keep」っていう、この映画でディカプリオがやってるのに似た役をロバート・レッドフォードがやってる。
 今、各地でロバート・レッドフォード追悼上映がやってると思うけど、この映画もぜひ観てもらいたい。


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