ビュフェ美術館

「没後10年 ベルナール・ビュフェ展」というのをベルナール・ビュフェ美術館でやっていて、今週はその最終週である。
最寄り駅の三島はsuica・PASUMOの境界を越え、すでにTOICAのエリアに入る。少し遠いのだけれど出かけるのは何せ私はビュフェが好きなのである。
「ニューヨーク」と「マンハッタン」の二つの作品はこの美術館の所蔵であった。こういう作品が日本にあることが無邪気に誇らしい。ビュフェほどに摩天楼を描けた画家はいないと思う。
彼の旧来の友人で、ビュフェの生涯の伴侶アナベルを彼に引き合わせた人でもある写真家リュック・フルノルは、ビュフェが日本で特に人気があるのはそのグラフィズムにあるのではないか、彼の黒い描線は書道に通じるものがあるのではないかとインタビューに答えていた。
ビュフェの絵を特徴付けているのは、一見してわかるように、誰にも真似できない美しい黒である。それは時に神経質に画面を走る細い引っかき傷であり、リズミカルに踊る曲線であり、またあちこちに飛び散る飛沫であり、画面の一部を飲み込む漆黒の面であるが、なんといっても最も特長的なのは、力強い太い直線だろう。
ビュフェは黒の直線で世界を切り取ってしまう。ビュフェにかかると曲線美の極みである裸婦でさえ黒の直線と面のみで表現され、しかも美しい。
池田満寿夫は、いわゆる「オム・テモアン(目撃者)」のひとりとして紹介されていたころのベルナール・ビュフェに、若い日の一時期、ピカソよりも強い共感を感じていたと著作の中で証言している。
「神経そのもののような線」
と表現していた。
ベルナール・ビュフェの絵は「第二次世界大戦後の不安感や虚無感」という枕詞とともに紹介されることが多いが、それはすこしビュフェの世界を狭隘にしてしまうような気がする。少なくとも私はそういう風に感じたことはない。私はただただ「なんて美しい黒だろう」と思う。
すべてのイメージが二次元であることに異を唱える人はいないだろう。視覚は、三次元の世界を二次元に変換する装置だと言い換えることもできる。
ある瞬間、何かを美しいと感じたとすれば、美しいのは、曖昧な三次元の世界から視覚が切り取った、その瞬間にしかない二次元なのだ。
そして黒は、色として二次元と三次元の境界であり、二次元と三次元は黒という場所で交わり、お互いの情報を変換する。
ビュフェの黒は、世界をあざやかに削り取る刃物のようでもあり、削り取った断面ににじむ血のようでもある。
それはサン・クレール寺院の塗りつぶされた窓であり、嵐の海が打ち寄せるベル・イル島の崖の陰であり、運河に影を浮かべるゴンドラである。
日本の水墨画をのぞけば、ビュフェほど黒の美しい画家はいないだろう。
晩年、パーキンソン病を患い、絵筆が揮えなくなることは自覚していて、そのことは周囲にも洩らしていたそうだ。自殺の原因はわからないものの、そのことがそのひとつであることは推測される。享年71であった。
ビュフェ美術館には2000点もの彼の作品が所蔵されている。美術館のサイトによると、最後の来館となった1996年5月、ビュフェは自身のキュレイションによる展覧会を提案し、コレクションの中から100点余りの油彩画を選びだした。今回の展覧会はそのキュレイションを再現している。
彼の提案により急遽開催されることになった展覧会であったが、一日目は何も決まらず、2日目にしてようやく壁がうまったそうだ。画家は自身の作品2000点を前にして、ときどき何かつぶやいていたそうだ。
今年は没後10年ということもあり、横浜のそごう美術館でも彼の展覧会が開かれる。7月29日〜8月31日。「マンハッタン」も「大運河」も展示されるようなので、ぜひ見ていただきたい。