『スパイダー・ノワール』

 ニコラス・ケイジがスパイダーマンを演じる。ノワールってくらいなんで舞台は1930年代のニューヨーク。ホントはスパイダーマンのオリジナルは1960年代なので「スパイダーマン-1.0」って感じ。スパイダーマンもヴィランも第一次大戦の復員兵という設定だった。そこも『ゴジラ-1.0』に似てる。
 しかも、カラーとモノクロのバージョンが選べる。せっかくノワールなのでモノクロで見た。43分〜50分の全8話。ニコラス・ケイジなら何でも観たい私としては堪能した。
 最近、コンテンツが多すぎる。トム・ホランドの新しい映画の方もまだ映画館にかかってる。あれも観たいか観たくないかで言えば観たい方の映画だが、手が回らない。是枝裕和の『ルックバック』も観たいか観たくないかで言えば観たい方だけど、いくら是枝裕和作品とはいえ、アニメ版が名作すぎるし、予告編を観たかぎり、ま、いいかってなる。でも、昔なら観に行ってたと思う。

 見たくもないクレヨンしんちゃんを見て腰抜かしてる伊集院光の意味がわからん。面白くないのを面白くないという趣味ないなぁ。映画版の『聖⭐︎おにいさん』くらいか。あれは酷かった。あそこまでひどけりゃそりゃ文句言うけど、芸能人がそれいうのは引くな。相手はキングオブコント目前なんだし。

スパイダー・ノワール
スパイダー・ノワール

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和歌山県立近代美術館のコレクション展から

 長沢蘆雪のついでに隣接する和歌山県立近代美術館にも立ち寄った。夏休みの企画展のような、コレクション展のような展覧会に、小学生たちがたぶん授業で来ていて、内心、うわあ、どうなるかなあ、と危惧したけれど、ちょっと他で経験しないくらいマナーがよくて感心した。

パブロ・ピカソ《泣く女》
パブロ・ピカソ《泣く女》

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この絵の前に七、八人でスケッチブックを持って座っていたが、全然鑑賞の邪魔にならなかった。

 ピカソついでに言うと

パブロ・ピカソ《ミノタウロマキア》
パブロ・ピカソ《ミノタウロマキア》

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《ミノタウロマキア》があった。
 これは横浜美術館のコレクションにもあって何度か撮影にトライしてみたが、ここまで黒い画面だと保護ガラスが鏡になって、絵を写しているのか自分を写しているのかわからなくなる。今ならポストプロダクションで何とかできるかもしれないが、当時はなすすべなく諦めていた。
 和歌山県立近代美術館は反射しないガラスを使っているか、もしくはガラスを入れていないかだと思う。

 《ミノタウロマキア》で蝋燭を手にミノタウロスを導いている少女はマリー=テレーズ・ヴァルテルだと言われている。
 オルガとの満ち足りた結婚生活の最中、ピカソが、地下鉄から出てきたマリー=テレーズを見そめたとき、彼女は17歳の家出少女だった。1927年。
 《ミノタウロマキア》が描かれたのは1935年。《泣く女》の連作が描かれたのは1937年で、このモデルはドラ・マールと言われている。
 ピカソが面白そうに見守る前で取っ組み合いの喧嘩をしたことで有名なのはこのドラ・マールとマリー=テレーズだ。
 ドラ・マールは本名ではない。本名はヘンリエッタ・テオドラ・マルコヴィッチ。写真家としてピカソが《ゲルニカ》を制作する過程をカメラに収めて出版する。

 ピカソはだいたい10年にひとりのリズムで女を乗り換える。この時期はマリー=テレーズとドラ・マールが重なっている。マリー=テレーズは生まれたばかりのマヤの育児に忙殺されていた。
 《泣く女》は、ドラ・マールだけでなくマリー=テレーズとオルガの面影もそこに重ねられていると言われている。
 で、素朴な疑問。同じくエコール・ド・パリの仲間たちでも、藤田嗣治、ジュール・パスキン、キスリングが美しい女性にこだわるのはわかるとして、この《泣く女》のモデルが美しい必要は?。と、いったん考えてしまうが、たぶんピカソの絵の魅力はここにあるのだろう。美しい女に魅了されると、その美しさの向こう側を描かずにいられなくなるのだ。
 誰よりも美を畏れている。美に囚われまいとして、美に取り憑かれている。何かを美しく描こうとは微塵も思っていない。美を描こうとしているだけ。その意味ではピカソこそ最も美女が必要だった。
 《泣く女》に即して言えば女が泣いている現象を描いているのではなく、泣く女という存在を描いている。たぶんピカソは泣く女を見たに違いない。
 オルガ・コクローヴァ、マリー=テレーズ・ヴァルテル、ドラ・マールの誰が泣く女だったのだろうか。オルガは晩年に精神を病み、マリー=テレーズはピカソの死を追うように自殺、ドラ・マールはピカソと別れた後、修道会に入った。

 佐伯祐三も3点あった。

佐伯祐三《オプセルヴァトワール付近》
佐伯祐三《オプセルヴァトワール付近》

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佐伯祐三《リュ・デュ・シャトーの歩道》
佐伯祐三《リュ・デュ・シャトーの歩道》

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佐伯祐三《レ・ジュ・ド・ノエル》
佐伯祐三《レ・ジュ・ド・ノエル》

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 珍しいと思ったのは、恩地孝四郎と田中恭吉の油彩画があった。

恩地孝四郎《海の女》
恩地孝四郎《海の女》

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田中恭吉《バラの刺》
田中恭吉《バラの刺》

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 田中恭吉の方は、とりわけ、らしくない。
 田中恭吉、藤森静雄、恩地孝四郎の『月映』の同人3人は、萩原朔太郎の処女詩集『月に吠える』の印象から版画、ペン画を思い浮かべる。というか、現に油彩画は初めて観たかも。
 特に、田中恭吉の薔薇の棘で戯れる女性の健康さは、『月に吠える』の出版時にはすでに病に斃れていたから尚更。
 聞けば、この3人はみな和歌山の人で、和歌山県立近代美術館には収蔵品も多いそうだ。

 立体作品では

ジョージ・シーガル《煉瓦の壁沿いに歩く男》
ジョージ・シーガル《煉瓦の壁沿いに歩く男》

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建畠大夢《感に打たれた女》
建畠大夢《感に打たれた女》

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建畠大夢《ほたる》
建畠大夢《ほたる》

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建畠覚造《ALARM》
建畠覚造《ALARM》

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 このおふたり親子だそうだ。

『ナギダイアリー』ネタバレ

 深田晃司監督の熱心なフォロワーとはいえない私だが、2016年の『淵に立つ』の衝撃は忘れがたい。浅野忠信も筒井真理子も古舘寛治もあれがベストだったんじゃないかと思うくらい。『よこがお』『LOVE LIFE』も観てるし嫌いじゃないけど『淵に立つ』に比べるとその高さには達していないとひそかに思っている。
 でも、今回の『ナギダイアリー』は『淵に立つ』とは別の山だけれど、山頂の高さは同じくらいだったかも知れない。

 「ナギ」って音の響きを聴くとほとんどの人は「凪」を思い浮かべると思うし、私も第一項に浮かんでくるのはその文字だが、それと重なるくらいくっきりと「奈義」の字が浮かんでくる。昔、湯郷と言われていた町に短いあいだ暮らしていたことがあり、その頃は絶賛バイク乗り中だったので、奈義は隣のイメージだった。現に隣りと言ってもよいと思うが、今の人が地図を見たときこの距離を隣りと感じるかどうか。
 いずれにせよバイクで走り回るには楽しい地方だった。春樹(川口和空)が友梨(石橋静河)を案内しようとする大イチョウは法然上人が得度した菩提寺にある。山奥に埋もれるようなこの寺院周辺が900年遡ったとしても京大阪に比べうるとも思えない。法然上人の信仰の根っこがここにあると思わせる感慨深い場所だった。
 しかし、奈義の印象はどちらかというと自衛隊の演習地であった。この映画にもあるように実弾訓練ができるほど周囲に何もない。なのでソロツーリングでおいそれと迷い込むことのできない土地の名前として記憶に刻まれている。

 その奈義に、亡くなった両親の家を引き継いで、寄子(松たか子)は、彫刻家のかたわら牧畜の手伝いや絵画教室をしながら暮らしている。そんな寄子の家へ、東京で建築家をしている友梨が数日の休みをとって訪ねてくる。道案内をしてくれた絵画教室の生徒の1人圭太(藤原聖)が「2人は恋人なんですか?」と尋ねる。二人の関係は実は寄子の元・義理の妹、つまり、寄子の弟の元嫁が友梨なのだが、確かに、その関係性で東京から奈義まで訪ねてくるのはちょっとだけ変。友梨の休みに彫刻のモデルを頼まれたのが一義的な理由らしいが、そういう謎とまで言わない不穏な空気が一刷けずつ重ねられてゆく丁寧なつくりが心地よい。
 寄子がレズビアンであることはあっさり告げられるが、そのお相手は友梨ではなく別の誰かで、すでに亡くなっていることも同時にわかる。
 中学生の圭太がその質問をすること自体は、もはやナゾとは言えない。寄子の絵画教室に通っている同級生の春樹に恋しているのはわかりやすすぎる。これはむしろ、大人たちのナゾのコントラストとして機能して見えた。
 ちなみに、道に迷っている友梨を圭太が道案内したのは、春樹が台湾で描いた友梨のスケッチを見ていたためだった。その頃は友梨はまだ寄子の弟と別れておらず台湾で一緒に働いていた。

 春樹の父・好浩(松山ケンイチ)は寄子の同級生で、これは予告動画にもあるように今は役場に勤めていて、毎朝、役場からのお知らせをラジオでアナウンスしている。だから、圭太と同じく、好浩も春樹のスケッチで友梨を知っていた。

 ネタバレを宣言して書き始めているものの、さすがにこのあたりから先の微妙な描写は、ネタバレ云々ではなく、私の拙い文章で伝えきれない。こういう繊細な表現に出会いたくて映画を見続けていると言っていいと思う。とても文章化できない。
 ちなみに友梨が口にする「水に燃え立つ蛍」は室町時代の『閑吟集』という歌集にあるそうだ。これは事前に知っていなくても大丈夫。むしろそういう知識は、水に映る蛍のように美しいシーンの邪魔になるかも。

 その前に寄子の不思議な夢が予知夢のように描かれているのも美しい。ホントは予知夢ですらない。なぜなら、友梨も好浩も出てこないので。

 こういう夢の描き方はそれこそ法然上人がいた頃の物語のような、あるいは『雨月物語』のような、不思議かどうかさえ分からないけれど誰かの心に秘められていそうな話を思い起こさせる。

 大人の恋がどうやって始まるかについて、こんなに繊細に描いた映画って滅多にお目にかからないと思う。遠く鳴り響く自衛隊の演習の音でさえ詩的に感じられる。

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淵に立つ

淵に立つ

  • 浅野忠信
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『さとこはいつも』ネタバレ

 最近、『南極料理人』のリバイバルもやっていた『さかなのこ』『子供はわかってあげない』の沖田修一監督。『横道世之介』とか『モリのいる場所』も個人的には印象に残っている。
 全部、フツーの日常を描いているのに語り口が独特。例えば『さかなのこ』なんてなぜかさかなくんの男子高校生時代をのんが演じてた。日常を描いて面白いならそれに越したことはない。
 日常を描くってことはたぶん細部を描くってことなんだろう。その最たるは、二人目のさとこ(有村架純)がハマってる韓国ドラマまで自作です。その主役が何故か『まなみ100%』『秒速5センチメートル』の青木柚。韓国俳優に見えんこともない。
 そしてこのさとこは映画の宣伝プロデューサーで、ある映画のプロモーション会議でふたつ候補に上がったポスター案のうち、明らかにダサい方のポスターを推すのだけれど、自分でももう片方の方がよいってわかってる。
 このときの2つのポスターの良し悪しの差が絶妙。どっちとも如何にもありそう。あのポスターのデザインを現に沖田修一チームで会議したのかなと思うとおかしい。
 オダギリ・ジョーは愛すべきダメ男をやると相変わらず絶品。右に出る者がいない。これしかできんのかという意見もあろうが、他の人はこのレベルでできそうもないから仕方ない。たぶんだんだん年取っていくうちに別の味も出てくるんでしょう、知らんけど。

 それと対照的なのが3人目のさとこ(石田ひかり)のダンナさんを演じた筒井道隆。毎回ふんいきが変わる。『聖の青春』の時は、どなた?って思った。今回もしばらく誰か気がつかなかった。

 しかしながら、この映画の魅力をぐんと嵩上げしてるのは、一人目のさとこを演じた姫野花春。私もネブライザーやってたわ、小学生の頃。あれって耳鼻科が学校と結託して私腹を肥やしてただけだと思ってた。
 さとこが吉田羊の演じる半分やさぐれた教師に惹かれたかは謎だけど、リアル。ものを作る初期衝動みたいのは誰にでもあるに違いない。多くの場合、それはでも未完に終わる。
 この3つのエピソードはどれも書きかけの切れ端のままゴミ箱行きなのがリアル。それが1人目のさとこと2人目のさとこのエピソードでは呼応しているように思えた。でも、3人目のさとこは自分の書いたものを2人目のさとこに見せちゃうけどあれはあれでよかったのかしらむ。3人が出会う必要があったかどうかはちょっと自分の中では消化しきれていない。
 この3人はもし出会うとしてホントはどこで会うべきだったのかは、ちょっと違う気がしている。
 つまり、この3人のさとこは、やはり、ホントは一人だったんじゃないかと観客に疑わせ続ける方が正解だったかも知れないと思う。というのも、メタ視線では3人のさとことも沖田修一の生み出した人物なのは観客は知っているのだし、もし、同一人物の含みを持たせないなら3人を「さとこ」に統一する意味がわからない。

 3人を物理的に横に並べる意味があったかなぁと疑問に思った。3人のエピソードがどれも事実(あくまで映画の中でだけど)なのか、それともどれかひとつだけなのか、もしくは全部がウソなのかの含みは最後まであった方が好みではあるが。
 例えば、実は2人目と3人目は1人目がノートに書いたストーリーにすぎなかったとしたら?。それを寺尾先生(吉田羊)が読んでるところってオチだったら?。

 小説なら重要な差かも知れないけど、それはでも映画ではあまり重要ではないかも。実際に役者が演じている分、構造が違うので、虚実の階層の作り方は難しい。

 下に「活弁シネマ倶楽部」の沖田修一監督インタビューを載せておく。が、とにかく、監督自身が自身の映画についてかなり突っ込んだ話をしてるので、この映画をまだ観ていない人で、観にゆく予定の人は鑑賞後に。

 余談ではあるが、『横道世之介』の吉高由里子のあの切り替え方がみごとだったなぁ。よく考えるとあの原作は『国宝』の吉田修一だった。

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聖の青春

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  • 松山ケンイチ
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『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』『八月の声を運ぶ男』ネタバレ

 『オデュッセイア』はさすがに紀元前8世紀から歌い継がれてきただけのことはあって語り口が素晴らしいんだなと納得させられる。
 トロイア戦争後の10年の放浪は、イタケーに帰還したオデュッセウスが語った物語なので、吟遊詩人たちはオデュッセウスの口を借りて戦争を語っているとも言えるが、戦争を語るオデュッセウスを歌っているとも言える。
 クリストファー・ノーラン監督の『オデュッセイア』はこの2つをひとつに統合した。ひとつの文明を生きながら、その文明の滅びゆくさまを見た人の物語としてあの叙事詩を再読した。
 または『ゴジラ』を考えてみたらどうだろうか。『ゴジラ』は私たち日本人にとって単なる爬虫類ではありえない。『ゴジラ-1.0』があれほど世界的にヒットしたのは、日本以外の人たちがあの映画で初めてそのことに気がついたためだといえないだろうか?。
 『オデュッセイア』も『ゴジラ』もメタファーというにはあまりにも強い象徴性を獲得している。言い換えれば、あまりにも魅力的でカッコいい。そのためにその背後にある取り返しのつかない破壊と喪失に気づかれにくい。

 塚本晋也監督の最新作『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』はこれ以上ないほどに実話である。元兵士の証言を再現した動画だと言ってもいいくらい。
 しかし、ここで難しくなるのは、『オデュッセイア』の場合と同じく、兵士の証言を借りて映画を作っていると同時に、それを語る兵士を映画にもしていることだ。それは映画のタイトルがよく示してもいる。もちろん、それはアレン・ネルソンの原作タイトルそのままでもあるのだが、この映画は戦場そのものではなく、戦争を語る人と戦争を語ること、そしてそれを聴く人たちとそれを聴くことが主眼となっている。

 ジェフリー・ラッシュの演じるダニエルズ医師が後に語るように、戦争のPTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)の治療法はアレン・ネルソン(ロドニー・ヒックス)と彼が出会った頃はまだ確立していなかった。というか、PTSDそのものが発見され認識されたのがそもそも1980年だそうだ。実は、ベトナム戦争の帰還兵たちの症状が「ポストベトナム症候群」と呼ばれ、それがPTSDの研究につながっていった流れなので、アレン・ネルソンたちの陥っていた苦境をどう呼ぶのかさえ当時は理解されていなかった。
 そんな中でダニエルズ医師とネルソンさんは対話を通じて治療の道を探ってゆく。薬では治らなかった不眠症が少しずつ改善してゆくが、あるとき、息子が通う高校に海兵隊募集のチラシが配られているのを見たネルソンは学校に掛け合って彼自身の海兵隊としての経験を話す。それが糸口になって、彼は生涯で1500回を超える講演をし続けることになった。
 最初は息子を守ろうとして必死で話したはずだったのに、結局、結婚生活は終わりを迎える。離婚をしたからと言って、人間関係が終わったとは限らない。子供たちはいつかは巣立つのだし、離婚や別居には他人には計り知れない事情があるとはいえ、私には彼が戦争を語ることに取り憑かれてしまったように見えた。
 戦争体験を語ることは彼を癒やしはしたが、それでPTSDから自由になったわけではない。結果として彼は語り続けなければならなくなった。使命感を持って話していたには違いないが、同時に彼自身のためにも語り続けるしかなかった。1500回語ってもPTSDが癒えることはなかったといえないだろうか。
 
 この映画はネルソンさんが語る戦争と、それを語るネルソンさんの苦悩の両方を描こうとしているし描いている。しかし、欲を言えば、戦場での苦悩と戦後の苦悩がバランスよく統一されているかどうかは難しく思った。これは観客の側の問題かも知れない。戦場を描く映画の文体はすでに多彩に開発されていて馴染みがある。対して、PTSDをどう映画化するべきかは戦場の描写に比べればまだ新しくて未開発の部分も多い。
 うっかりすると、ひどい戦場から生還して最初は劇しいPTSDに悩まされましたが、カウンセリングでだんだん治りましたって映画に見えかねない。しかし、実際はまったく治っていない。懺悔の告白をした夜にだけ少し楽になるだけ。だからこそ1500回も講演を繰り返した。
 治らないのだ。イラク戦争でもPTSDの発症者は17万人を超すと言われ、PTSDによる自殺者は3万17人、戦闘による戦死者7千人の4倍以上に上る。日本の自衛隊ですら29人が除隊前に自殺している。
 なので、ネルソンさんの場合も、戦場で残虐なことをしたけれど、戦後に改心して戦争反対の伝道者になりましたって話ではない。
 見ようによってはそういう話に見えてしまうし、何なら、そういう話であってほしいし、そういう話ととれなくもないじゃないかと言い聞かせたくなる。確かに、アレン・ネルソン個人については少なくとも語ることができただけ救いがあったとは言えると思う。しかし、むき出しの殺意が呆気なく積み重ねてゆく、死体の放つ死臭の場所から心が帰還することはない。

 映画にも描かれている、アレン・ネルソンの実父もまたPTSDに悩まされていた可能性もある。PTSDは世代を超えて受け継がれてゆくおそれがある。
 このことについては、今年の春に公開されたドキュメンタリー映画『父と家族とわたしのこと』で描かれていた。日本では「皇軍」などという、もとはといえば本居宣長あたりの妄想から始まった与太話が蔓延したために、PTSDが認識され始めるのは阪神淡路大震災を待たなければならなかった。実際は日露戦争あたりからあったと思う。第二次大戦後は確実にあった。

 『八月の声を運ぶ男』は、原爆被害者の証言を私財でテープに録り続けた人の話。主役を本木雅弘が演じている。これも実話そのものがすでに感動的だから、下駄を履いているとも言えるが、語り口はそんなに上手く行ってないのかなと思った。ちょっと説明しすぎ。
 主人公がさまざまな被爆者に当時の証言を聞いてまわるうちに、ひとりの被爆者(阿部サダヲ)の証言が虚言ではないかという疑問が生じる。被爆した事実は間違いない。でも、証言内容にいくつか齟齬がある。
 そういうミステリー仕立てにするには内容が重すぎる。いうまでもなく、死んでいった人たちの無念を生き残った彼が代弁しているに決まっている。たまたま生き残っただけなんだし。
 ほんとを言えば、こういう人もいた、ああいう人もいたと言うのが正しい証言だろうが、重い原爆症と長年闘ってる彼にしてみれば、死んだ無名の彼らと彼にもはや自他の差はない。
 そういう証言も含めて、被爆者の証言を集めてゆくエピソードの集積のように描く方が厚みが出たと思われる。阿部サダヲのエピソードだけ粒だってるように見えて、かつ、そこだけ説明しすぎているように見えるのが世界を狭めたように感じられた。石橋静河のエピソードとかすごく良かったので鑑賞後感は決して悪くはない。惜しいって気がした。



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 後日、活弁シネマ倶楽部に塚本晋也監督のインタビューが上がったのでリンクします。ネタバレなしです。


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蘆雪生動 ―南紀 無量寺への旅―

 和歌山県立博物館で長沢蘆雪の大規模な展覧会。9月23日まで。
 紀伊半島の突端にある無量寺の串本応挙蘆雪館の収納庫の改修工事の間、和歌山県立博物館がその収蔵品を保管するとともに展覧会を開く。併せて、成就寺、草堂寺、高山寺の紀州の寺院と奈良の薬師寺に残されている蘆雪と応挙の障壁画のおよそ180点を一堂に会して展示する。
 和歌山県立博物館は和歌山城の南、おそらくかつては和歌山城内だったろう場所に美術館と隣接して建っている。初めて訪ねたけれども落ち着いた雰囲気がよかった。
 長沢蘆雪は円山応挙の高弟で、時に師匠を凌駕するかの閃きを見せる。
 というか、応挙と蘆雪は絵師としての資質が違う。応挙はまず絵全体のグランドデザインを考える人だった。「筆すすぐ応挙が鉢に氷かな」と蕪村の句にある。これが実景かどうかは知らぬものの蕪村にこのストイシズムを感じさせるのが応挙の絵であった。
 これに対して蘆雪は才走っている。もちろん蘆雪も絵の構図を設計する能力に欠けているわけではない。だがそれ以上に即興性、絵師の描く線の個性にこだわったところがある。

円山応挙《雪梅図襖》
円山応挙《雪梅図襖》

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 この草堂寺所蔵の雪梅図*1の佇まいは応挙の障壁画の中でも抜群だと思っている。これを三井記念美術館で見た時の説では、応挙はこの絵を蘆雪に運ばせたと言われていた。もしかしたら今ではこれは伝説とされているかも知れない。
 そもそも南紀のこの辺りの寺になぜこのように多くの応挙や蘆雪の絵があるかについて、応挙がまだ若い頃、京都で出会った二人の僧に、あなたたちが寺を建てるときには私が絵を描きましょうと約束した、その二人の僧が、無量寺住持の愚海文保と、草堂寺住持の棠隠令召だったと後世の資料にあるそうだ。
 それが伝説であっても事実であっても、この二つの寺にある応挙と蘆雪の障壁画がその伝説を充分に信じさせる。
 ただ、蘆雪を南紀に伴ってきたのが愚海文保であることは一次資料から間違いないそうだ。宝永四年の津波で壊滅した南紀の寺院が、ようやく再建なった天明六年、障壁画の絵師として愚海文保に同道したのが当時34歳の長沢蘆雪だった。

長沢蘆雪《群猿図屏風》右隻
長沢蘆雪《群猿図屏風》右隻

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長沢蘆雪《群猿図屏風》左隻
長沢蘆雪《群猿図屏風》左隻

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 先ほどの応挙の《雪梅図屏風》と同じ草堂寺にある蘆雪の六曲一双の《群猿図屏風》。もちろんこのダイナミックな構図も素晴らしいが、と同時に、右隻の岩山の表現の自由闊達。このフォーヴを思わせる表現は応挙の選ばないところだろうと思う。

 今回の展示でそうした蘆雪らしさを感じたのは、これも草堂寺所蔵の《栽松焚経図屏風》二曲一双。

長沢蘆雪《栽松焚経図》
長沢蘆雪《栽松焚経図》

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 経を焚いているのが六祖慧能、松を植えているのは「栽松道者」の異名がある五祖弘忍だろうと推測されていた。というのも、蘆雪の訪ねた天明六年に草堂寺の住持が、第五世棠隠令召から第六世寒渓令遂へと法灯を引き継いだ年だったので、その祝いの意味が込められていると考えられる。
 これの驚くべきは指頭画であること。ほぼすべて筆を用いず指と爪で描いている。蘆雪の指頭画は以前にも見たことがあったが、それは酒の席での座興、いわゆる席画であって、描いている蘆雪も明らかに酔っているのが分かる、くだけた雰囲気が伝わるものだった。指頭画というものはすべからく筆の持ち合わせのない席での座興のようなものだと思っていた。
 しかし、これは筆以上に繊細で伸びやかな線が引かれている。筆よりもむしろ特典感が高い。筆を用いない方がむしろ神聖だとさえ思えてくる。蘆雪は線の天才だとまたしても感じさせられた。

長沢蘆雪《松虎図》 薬師寺蔵
長沢蘆雪《松虎図》 薬師寺蔵

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*1:会期が前後期に分かれていて、これは前期のみ展示だった。

エド・シーランとマックルモアとピンク

 この9月4日、5日にエド・シーランがニューヨーク市郊外のMetLife Stadiumで公演した。この時、サポート・アクトとして出演したラッパーのマックルモアが「パレスチナに自由を」と叫び、ガザ地区とヨルダン川西岸地区の人々への連帯を表明した。
 サポートアクトは前座(opening act)というには存在が大きいアーティストたちにリスペクトを込めた言葉で、前座に比べて演奏時間も長い。マックルモアはグラミー賞の受賞歴もある。
 ところが、エド・シーランのプロモーターMessina Touring Groupは、その後の全米ツアーを予定していた会場のオーナーたちから、マックルモアがラインナップに入っている場合はコンサートの開催を認めないと通告された。
 Gillette Stadiumのオーナーである億万長者ロバート・クラフトがシーランに圧力をかけてマックルモアを排除したそうで、これについてはエド・シーラン、マックルモア、ロバート・クラフト全員が認めている。
 エド・シーランはマックルモアに事情を伝えたが、結局、マックルモア抜きでツアーを続ける決断をした。
 エド・シーランのこの決断は微妙なところ。難じるべきかどうかわからない。あくまでもサポートアクトだし、チケットを買ったファンは待ってるだろうし、エド・シーラン自身も何ヶ月も準備してきたことだろうし。
 エド・シーラン自身はこう言っている。一部抜粋。


「私のショーに来る人たちは、政治的なプラットフォームを期待しているわけではない。マックルモアが自分の信じることを声高に主張する強い意志には敬意を表する」
「しかし、平和という同じ目的を達成するために、複数のアプローチが存在する余地はある」

全部は下に貼ってあるBBCのサイトで確認して欲しい。
 エド・シーランのようなあまり政治色を感じさせないポップスターの公演にもパレスチナ問題が影を落とす時代になったことが感慨深い。

 マックルモアは、ガザ地区の惨状を伝える映像を映し出し、コロンビア大学で建物を占拠し、イスラエル軍に殺害された6歳の少女ヒンド・ラジャブ(Hind Rajab)にちなんでその建物を命名した親パレスチナのデモ参加者について歌ったプロテストソング「HIND'S HALL」も披露したそうだ。
 あの『ヒンド・ラジャブの声』のあの少女のことを歌って「パレスチナに自由を」って叫ぶのが反ユダヤ主義か?。
 映画『ヒンド・ラジャブの声』も米国では大手配給会社が軒並み拒絶して全米に配給されなかったことを思えばなおさらではないかと思う。マックルモアのこの程度のごく穏健なパフォーマンスを、会場のオーナーが抹殺するのは表現の自由に対する挑戦に違いない。
 ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズはこの件を受けて、エド・シーランを「little prick」と呼んだそうだ。また、その後、ツアーに参加していたすべてのサポートアクトのメンバーが離脱を表明した。

 1964年のアメリカツアーで、ビートルズが人種隔離された観客の前で演奏することを拒否し、会場側に席の隔離を撤回させたことがあった。ジョン・レノンは当時、「人種隔離された観客の前では絶対に演奏しないし、今更始めるつもりもない。出演料を失った方がマシだ」と言い切った。マネージャーのブライアン・エプスタインは、このジャクソンビルでの騒動以降、米国のすべての出演契約書に「アーティストは人種隔離された観客の前での演奏を義務付けられない」という公式な条項を明記させた。

 1964年といえばジョン・レノンはまだ23歳だった。それから62年が経った今振り返れば、目の前の観客を喜ばすことも大事だけれども、やっぱりビートルズはかっこよかったよなと思われる方がいいんじゃないか。ビートルズは結局どっちもやったんだけど。

 エド・シーランは親イスラエルの側からも叩かれてるみたい。エド・シーランのAI生成画像を作ってアップしているボーイ・ジョージは論外だが、ピンクは、マックルモアが「反イスラエルプロパガンダを広めていると非難し、ユダヤ人のファンは謝罪と返金を受ける権利がある」と主張するStopAntisemitismの投稿をリポストして炎上した。
 後日に声明を出して
「私はこれまで他のアーティストの発言を封じるよう求めたことはありませんし、今も求めていません。誰かを解雇してほしいとも、返金してほしいとも思っていません。」
と語っているが、かなり無理がある。ともかく前言を撤回したということになると思う。

 こういう公衆の面前で、金の力で言論弾圧することに躊躇しない親イスラエルのユダヤ団体に対して、ユダヤ人の側からマックルモアを擁護する声も上がっている。ユダヤ人の平和への声など。しかし、ユダヤコミュニティの中では不当解雇の憂き目にあったりしているらしい。

 結果的にこういう騒動がある中でも、ツアーを続けることに意味があったかもしれない。サポート・アクトが一人もいない無音のステージの後にエド・シーランのパフォーマンスが始まるならそりゃそれで伝説かも。

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