『死ねばいいのに』ネタバレ

 奈緒、伊藤蒼。
 少なくとも、観てよかったと思える映画なのは間違いない。
 その上で疑問点を書くのだけれど、テーマに対してセリフがウエルメイドすぎるように感じた。「演劇的」と評しているサイトもあったがそれも同じ意味なのかもしれない。セリフのやりとりが都合よすぎるように感じた。
 セリフに生々しさがなく背後に本を感じる。それは一方では良いことかもしれなくて、だとしたら、書かれたセリフに魅力がないのかもしれない。

 最初の対話シーン、渡来映子(奈緒)と山﨑寛之(前原滉)のケースで、大声の罵り合いは興醒め。死んだ鹿島亜佐美(伊藤蒼)と不倫関係だった上司の山﨑と、その勤める会社の社内で話してるのに、あんな大声はリアリティないわ。芝居だな、演出だなと思っちゃう。

 会話の最中に背景が変わって、亜佐美がパソコンの壁紙に使っていた夜の野原になる。映像の方でそういう象徴的で非現実的な演出をするなら芝居の方はリアルでないと醒める。
 特に、山﨑はひとり目だから導入としてもまだ観客に先を読ませない方が良かったと思うけど。あれだと「ああ、こっちね」と観客がレッテルを貼ってしまう。変な演出だったなあ。

 「亜佐美のことが知りたいだけ、亜佐美の友達じゃないです」って映子が、その後、亜佐美の高校時代の先輩(高橋ひかる)、DV彼氏(草川拓弥)と訪ねて回る。
 友達でもないのに亜佐美の知り合いを訪ねて回る映子はそうとう変じゃないですか?。それに応対する側はフツーじゃないと映画自体が全編的に変になっちゃう。
 シナリオに書かれたセリフの段階から、3人が映子に合わせてくれてるみたいな感じで、会話が不自然。DV彼氏がいちばんフツーに見えたけど、DV彼氏である時点でフツーじゃないわけだからたまたまハマっただけで、この3つの会話がもっと魅力的だったら、この後のトリッキーな展開にもっと驚けたと思う。

 不倫相手が死んだ、後輩が死んだ、カノジョが死んだって時に、なんか知らん女が訪ねてきて、つかぬこと、込み入ったことを根掘り葉掘り聞いてくる、この状況は笑えるところだったのに、笑いどころを逃しちゃう監督は多いみたいね。ここはコメディ要素を入れといたら、後で効いたのに残念だなぁ。

 で、映子はとうとう警察にまで踏み込んじゃう。「あんた何なの?」ってなりますわな。「いや、犯人っす、テヘ」とは言わなかったけど捕まっちゃう。笑いを入れてないんで、この前半と後半のコントラストがうまく出てない。
 だって、前半は刑事コロンボふうなわけ。でも、実は、関係者を問い詰めてたのが犯人だったって衝撃。になるはずが、前半から変すぎて「ああそうか」くらいにしかならない。
 笑いを入れときゃなぁ。映子が一見コメディを装いながら犯人を追い詰めるんだろうなってワクワクするじゃない?。それが笑いがないために、ただただ変なんで、「こいつが犯人かい?!」って最高のオチにフリが効いてない。

 後半は接見する弁護士(平原テツ)と映子の会話から、映子と亜佐美の対決がひもとかれてゆく。
 映子と亜佐美の価値観の対立は、観念的ではあるけれども、映画が観念的であってならない理由はない。問題はその観念をどうやって肉体に宿すか。そう考えると、やっぱり『急に具合が悪くなる』の濱口竜介の仕事は改めてすごいと思わされる。

 映子を見ていると頭の中に浮かぶのは疎外という言葉。しかし、亜佐美がどうだったかは実に難しい。亜佐美が肉体を持った生身の人間として描けるかどうかは難しい。
 亜佐美が恐怖や痛みを感じる生身の人間だと感じられる何かがないと映子の殺人に至る心理に切実さがなくなる。
 最初、弁護士が想定していたように、実はこれは自殺幇助ではないのかと考える方が幾らかわかりやすいが、それだとこの映画の存在意義そのものがなくなる。ただ、そうじゃないのか?って観客を揺さぶる仕掛けはほしかった。
 最終的に弁護士も認めざる得なかったように、これはやはり殺人だったとわかる。が、では、これがどのような殺人だったのかは観客に委ねられている。

 個人的に考えるに、映子は深層では常に死の欲動に囚われていたと思われる。世間から見ればこれ以上ないほど不幸な状況にありながら、自分は幸福だと信じ込んでいる亜佐美を前にして、そういう死の願望が表出したと見えた。
 なぜなら亜佐美の幸福感は映子の目から見れば完全な幻想だから、この幻想が一皮めくれて、亜佐美が現実の不幸に落ち込む想像に耐えられなかった。今、自分が生きているのっぺりとした現実の世界にこの幻想から亜佐美が、今にも落ちてくる不安に誰が耐えられただろう。
 と同時に、一方では、このありきたりな不幸な現実世界に、たとえ幻想であったとしても、一瞬でも幸福がありうると想像するのが怖かった。亜佐美が怖かった。うごめく異物のように怖かった。
 だからこそ映子は、殺人の後で亜佐美とは何者だったのか尋ねて歩かざるえなかった。しかし、映子に残されていたのは、ほとんど見知らぬ誰かを殺したという事実だけ。またありきたりな不幸がひとつ重なっただけだとすれば、映子はまた住み慣れた世界に戻ったと言えるだろう。
 だが、ほんとか?。ほんとに戻ったかは映画の結末ではわからない。
 
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 ついでもあるので「芸術と疎外」って吉本隆明の口述筆記のリンクを貼っておきます。

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ヴァルラフ=リヒャルツ美術館展 at あべのハルカス美術館

 改装中の美術館が大量に所蔵品を貸し出すパターン。
 というわけで、特にテーマ性のあるキュレーションではないが、ふだん目にしない印象派の名品がずらりと並ぶ。
 朝一で出かけた方がいいんだろうなと思って開館と同時に訪ねたが、むしろ、その時間帯の方が混んでいた。あべのハルカス美術館は火曜から金曜まで夜8時まで開館しているので、ナイトミュージアムを楽しむのもよいかも。
 東京の美術館だと、印象派のような人気の展覧会、特にゴッホが呼び物だったりすると、朝一で混んでたらそのあとは絶望的に混む。こちらでもそのつもりでいると、不思議なことに11時ころからだんだん空いてきた。
 これは如実に人口の差だと思った。改めて、東京は巨大都市なんだと思う。東京の場合、その上に周辺各地から、へたすれば世界から人が集まる。もし混みそうな展覧会が東京から地方に巡回するなら地方で観るのもよいかもしれない。ただ、東京は美術館の密度が高いので、1日で二三館は回れる。それにそうは言っても結局人気のある展覧会以外は全然人がいない。
 今回の展覧会よりアンチ・アクションの方が断然よかったと思うけど、蓮見翔の言い方を真似ると美術館は流行ってないんだろうな。
 関西の展覧会で毎回思うのは、キャプションの字が小さい。もうちょっと大きく書いてほしい。なかんずく、一番がっかりしたのは京都国立博物館。東京国立博物館が常設展のほぼ全品が撮影可なのに対して、同じ国立博物館の京博がどういうわけで撮影不可なのか理解できない。それにせっかく京都にあるのだから、周辺の寺社仏閣ともうすこし連携できないものだろうか。雪舟展ががらがらだったのはさすがに経営努力が足りないと思う。あのオーバーツーリズムの京都の真ん中で雪舟の国宝を集めてガラガラ。あのへんなゆるキャラをみるたびに腹が立つ。

クロード・モネ《霧の中の崖の家》
クロード・モネ《霧の中の崖の家》

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クロード・モネ《ヴェトゥイユ上流、春の効果》
クロード・モネ《ヴェトゥイユ上流、春の効果》

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 色彩画家としてのモネの美しさを引き継いだ画家はいないと思う。モネの画業は現代アートの文脈にのりづらい。むしろ東洋美術の伝統に近いのではないか。ほとんど油彩を使った山水画だと見えるくらい。うつろう自然の色彩にここまで没入することは容易に個の否定につながる。中国の禅僧たちが行ったような道をモネの後に続いて分け入ろうと、その後の画家たちが思わないのはむしろ当然だと思える。モネの絵はその意味で美しいより怖ろしい。

ピエール=オーギュスト・ルノワール《横たわる裸婦》
ピエール=オーギュスト・ルノワール《横たわる裸婦》

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 そういうモネの色彩の世界からもがいて抜け出したのがルノワールだった。わたしたちが目にする世界のすべてが二次元の色彩の集合にすぎないのは確かだと言える。しかし、岩肌と女性の肌はちがうと私たちは知っている。そして、印象派以前の古典絵画がそのような質感や量感の違いを描いてきたことも事実である。モネのように画面を空間として成立させつつ、一方で対象の量感や質感にも挑戦して手に入れた表現が晩年のルノワールの裸婦であった。
 イタリアから帰国した後、ルノワールが描き始めた裸婦たちは、それまでのコレクターたちから批判されたそうなのだが、ルノワールはリューマチに侵された最晩年まで裸婦を追求し続けた。
 ルノワールのアトリエを訪ねて彼の絶筆の裸婦を目にしたマティスは「過去に描かれたどの作品よりも美しい、彼の最高傑作」とたたえ、ルノワールを「私たちを、潤いに欠けた純然たる抽象化から救っている」と評している。

フィンセント・ファン・ゴッホ《ニューネンの農家》
フィンセント・ファン・ゴッホ《ニューネンの農家》

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 ゴッホのオランダ時代の絵は最近評価が高まっている。以前は、渡仏以前のゴッホの絵は習作であるかのように思いなされてきた。ゴッホってしらずしらずちょっとなめちゃうんだと思う。フランス時代の絵をためつすがめつしたあげくに、オランダ時代の絵を見てみたら「これもすごいじゃん!」ってなった感じ。
 グザヴィエ・ド・ラングレ著『油彩画の技術』によると、19世紀以降の近代画家で物理的に満足すべき画肌の状態を保っている画布はかろうじてゴッホとアンリ・ルソーだけだそうだ。
 ゴッホの絵を見るとフォーヴよりフォーヴに絵具を塗りたくっているのではないかと思ってしまう。ところが、驚くほど丹念に仕上げられているそうだ。
 モネの色彩もルノワールの量感もそうだけれど、この時代の人たちほど絵そのものにのめりこんでいった人たちはいないと思う。たぶん佐伯祐三くらいまでなんじゃないだろうか。文字通り命がけで絵を描いていた。
 今もどこかで命がけで絵を描いている人がいるのかもしれないが、そういう想像はリアルではない。絵に命を懸けていた時代に感嘆すべきなのか、絵に命を懸けられない時代を嘆くべきなのか判断に迷う。

ギュスターヴ・カイユボット《トゥルーヴィルの庭園》
ギュスターヴ・カイユボット《トゥルーヴィルの庭園》

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 モネやルノワールを経済的な面で支え続けたギュスターヴ・カイユボットの絵が4点。ある意味ではカイユボットらしくないかもしれない。自宅の半径300mくらいの絵が多い気もするので。
 カイユボットは45歳で急逝している。早死にの家系だったのか、若くから死の覚悟を決めていたらしく28歳から遺書を書き続けていた。彼が仲間から買いためていた印象派のコレクション67点もしくは69点はフランス政府に遺贈する遺言になっていたが、サロン派の頑強な抵抗によって結局40点のみが譲られることになった。
 カイユボットに指名された遺産管財人はルノワールで、彼とカイユボットの弟のマルシャルはフランス政府と交渉して何度も残りの作品も受け入れるように依頼したが、フランス政府は拒否し続けた。
 フランス政府は結局マルシャルの死後になって残りの作品の受け入れを申し出たが、遺族はかなり頭に来たらしく、アメリカのバーンズコレクションに売却することになったそうだ。

シャルル=フランソワ・ドービニー《花咲く果樹園》
シャルル=フランソワ・ドービニー《花咲く果樹園》

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 ドービニーは「アトリエ船」といって小舟の上に簡易な小屋のある船でセーヌ川を旅しながら絵を描いて回った。この果樹園はそういった旅の絵の定番の画題だったそうだ。このアトリエ船「ボタン号」を後にはモネが真似て自分なりのアトリエ船に乗りながら絵を描いていたこともあった。
 ドービニーとジャン=バティスト・カミーユ・コローはセザンヌとモネがサロンに落選したことに抗議して、ともに審査員を下りている。ドービニーはモネの師匠と言っていい人だと思う。少なくとも私淑していたと言っていいんだろう。

ウジェーヌ・ブーダン《ケリュオン、漁婦たち》
ウジェーヌ・ブーダン《ケリュオン、漁婦たち》

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 印象派の導き人となった人たちは幾人かいるのだけれどもブーダンもそのひとり。モネに戸外で絵を描くことを教えた。コローが「空の王者」と称したブーダンらしい1枚。

ポール・シニャック《クールブヴォワのセーヌ河》
ポール・シニャック《クールブヴォワのセーヌ河》

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 こないだのゴッホ展でシニャックがゴッホと親しかったと知って驚いた。確かにゴッホを点描と呼ぶ人もいるけど、ゴッホとシニャックが似ていると思う人はいないだろう。ただ、こうして点描以前のシニャックを観ると画力の確かさに驚く。点描後のこの人の絵は個人的にあまり好まないのだけれど、遅れてきた印象派であるより、点描派の嚆矢となる方がやりがいがあると思ったのかもしれない。

アンリ・ル・シダネル《ヴェルサイユの薔薇のある家》
アンリ・ル・シダネル《ヴェルサイユの薔薇のある家》

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 シダネルの展覧会は新宿の東郷青児記念美術館で見た記憶があるのだけれど、このブログには書いてないみたい。ときどきこういうことがあって記憶間違いかもしれない。

アンリ・ファンタン=ラトゥール《シャクナゲの花》
アンリ・ファンタン=ラトゥール《シャクナゲの花》

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 結局、この展覧会でいちばん心に引っかかったのはこのファンタン=ラトゥールのシャクナゲかもしれない。もちろん言い過ぎだけれども、ファンタン=ラトゥールといえばもっとゴージャスな花のイメージがあったので。
 単に、バイクで行った富山のシャクナゲ寺の想い出がよぎっただけかも。正直言って正確にはどこの何という寺だったかも思い出さないが、疲れて一休みしただけの寺だった。シャクナゲの花びらほど透明感のあるものもない。ファンタン=ラトゥールはこんな花の絵を描き続けたと見えた。

『自由研究には向かない殺人』

 最近、佐久間さんのラジオを最後まで聞かなくなってきたのは、フリートークにエンタメの話が少なすぎて、どっちかというと、家族の話かグルメの話が多くて、それはもういいかなって。 
 とはいえ、ヨーロッパ企画の『ドロステのはてで僕ら』は、このラジオで知ったし、『ホールドオーバーズ』はこのラジオで取り上げる前に観ていたけど、ここを逃さないのはさすがと思ったものだった。
 それで、うつらうつら流し聞きしてるうちにヒットしたのがこれ。『自由研究には向かない殺人』。シーズン2が先月配信になった。シーズン1の大ヒットには及ばなかったらしいが、全然知らなかったので、シーズン1から一気見した。
 BBCのこの手の推理ドラマは定評があるでしょう。シャーロック・ホームズ、ポワロ、ウェクスフォード、ジェシカおばさん。
 
 舞台はイギリスの田舎町。ケンブリッジ進学を控えた優等生の女の子が夏休みの自由研究に、5年前の殺人事件の謎を追いかける。
 主人公ピップを演じるエマ・マイヤーズが魅力的。ベッキーに似てるのは世界配信を意識して、東洋的にも西洋的にも見える感じを狙ったのかと思うくらい。
 原題は「a good girl's guide for murder」つって、もうすぐこの町をでて大学に行くけれど、最後の夏休みに思い残している事件を片付けていこうという気持ちが、物語の土台としてしっかりしている。青春ドラマでありつつ推理ドラマでもあり、それでいて小さな町の住民の群像劇でもあるっていう。
 そういう意味では『アドレセンス』と「ウェクスフォード」を混ぜたような感じかも。『アドレセンス』よりずっとエンタメより。主人公のピップがあまりに無謀なんだけど、動機がしっかりしてるのと、最後の夏休みって気分で不自然になってない。

 もうシーズン3も撮影は終わっているそうで、来年に配信予定だそうだ。

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佐藤二郎と橋本愛の双方にフジテレビが謝罪した声明

 7月7日にフジテレビから声明が出た。その説明を全面的に信じるとすると以下のような経緯になるようだ。

 「出演をオファーした際に、女性俳優側から、 過去の経験を踏まえ、キスシーンやベッドシーン等の場面がある場合には、事前に相談の上、 インティマシーコーディネータ ー等の専門家を関与させることが出演の条件であると伝え られるとともに、日常動作に伴う接触は問題ないとの説明を受けました。」

 日常動作に伴う接触は問題ないと言われていたそうだ。そりゃそうだろう。日常動作の接触NGならさすがにオファーするのも受けるのもふざけてるとしか言いようがない。

「当社プロデューサーは、女性俳優側に対し、演技上の配慮に関する事項を男性俳 優側にも共有すべきか確認したところ、女性俳優の所属事務所からは当社に判断を委ねる 旨の回答がありました。 」

 つまり、この件を佐藤二郎に伝えるかどうかは現場の判断に一任された。ので、台本上キスシーンもベッドシーンもないわけだし、橋本愛のプライバシーにも関わることなので、今回は伝えないという選択をした。
 この選択が正しかったかどうかは微妙だと思うが、フジテレビ側は

「伝えた方がよいのではないかと申し入れました。これに対し、男性俳優のマネージャーか らは、状況は理解したものの、男性俳優本人のドラマへの意欲が高く、当該事情を伝えると 男性俳優の演技に影響が生じかねないため、本人の耳には入れない方がよいとの意向が示 されました。」

と、佐藤二郎のマネージャーは何言ってるのかよくわからん。「この状況を耳に入れたら演技に影響が出る」と聞いたら、佐藤二郎はたぶん「なめてんのか」ってなると思う。
 ただ、橋本愛の事務所も伝える伝えないは現場に一任したんだし、伝えないという方針は、制作側で共有されていたわけなので、マネージャーのミスとは言えない。有能でないのはまちがいないが。

「その後、 2026年 3月 22日に行われた車内での撮影において、台本上明示されていなかっ た形で男性俳優が女性俳優の顔に触れる場面がありました。このことについて、女性俳優側 や当社が、このときの男性俳優の接触を問題視しているかのような報道や SNSでの発信が 多数見受けられますが、事実と異なります。女性俳優側は、このときの男性俳優の接触をセ クシャルハラスメントであるとは受け止めておりません。」

 SNSなんかでいちばん炎上した「顎に触れただけでNGかよ?!、ふざけんな」は、違うんです、という説明だ。ところが、

「もっとも、それまでの撮影を通じて、男性俳優には、アドリブでの身 体接触がある演技や他者との距離感が近いと感じた場面もあったため、女性俳優の所属事務所社長から、当社プロデューサーに対して、演技上の配慮に関する事項を男性俳優側に伝 えているかの確認がなされました。
 当社プロデューサーが、男性俳優の所属事務所には伝え ているが、男性俳優のマネージャーからは本人の耳には入れない方がよいとの意向が示さ れたこともあり、男性俳優本人には伝わっていない可能性があることを説明したところ、女 性俳優の所属事務所社長からは、当初申し入れた内容を男性俳優に伝えるよう要請があり ました。 」

 長い引用になるんだけど、橋本愛の事務所さんさぁ、最初に「伝える、伝えない」の判断は現場に一任したよね。
 で、橋本愛本人からは何の苦情も上がってないんだよね?。じゃ、何でここでそんな余計な現場介入した?。
 佐藤二郎は、この時点で初めて橋本愛の接触NGを知るわけですよね。じゃあSNSて取り沙汰されてる「顎に触れたらNG」と同じじゃねえか。佐藤二郎にしたら、そこまでの演技を全否定されてるのに等しいんで、「どういうこと?」って釈明もとめて当然だと思います。

「その後、女性俳優からの申し出もあって、男性俳優、女性俳優、女性俳優の所属事務所社 長 ・ 現場マネージャー、当社プロデューサーを交えた形で、改めて話し合いの場を設け、事前の承諾が必要な身体的接触の範囲について確認し合い、合意に至りました。」

 これを最初にやっとけば問題なかったのはもちろんだが、これはやらないって最初に確認してるのも事実。現に現場で何のトラブルもなかったのに、途中で事務所が口出したのはどうかと思うし、それで途中で日和るプロデューサーにも問題があると思う。

「一定のルール確認がなされてから約 2週間後の 4月 8日に、男性 俳優が、再度女性俳優の楽屋を一人で訪れ、俳優活動に関する自身の考えを伝える場面があ りました。
 男性俳優としては、完成したドラマ映像の出来の良さに感動し、女性俳優とのわ だかまりを解消したいと考え、女性俳優の楽屋を訪問したとのことです。
 その際、男性俳優 は女性俳優に対して、あなたの過去の被害は不幸なことだけれども、と前置きした上で、女 性俳優が身体接触に制約があることは事前に言うべきであったこと、男性俳優の友人にも 相談したところ友人も女性俳優の方がおかしいという意見であったこと、また、演技の相手 役に対し身体的接触に関する一定の制約を設けるのであれば俳優の仕事を続けるべきでは なく、夫婦役の出演の依頼があってもこれを受けるべきではないと考えていることなどを 伝えました。
 その場には、女性俳優と男性俳優のほかに、番組スタッフ 1名が居合わせてい ましたが、女性俳優は、男性俳優の訪問が突然であったことと、その発言の内容や口調の強 さに激しく動揺し、しばらくの間、女性俳優は涙が止まらない状態になりました。 」

という、ここがハラスメント認定されたようだ。
 しかし、こうやって文章で読むかぎり、佐藤二郎の言ってることは至極まっとうと思えるがどうだろうか。この一連のいきさつを見れば、佐藤二郎でなくとも誰でもそう思うだろう。ましてや佐藤二郎は当事者なのである。「まいったよぉ」と誰かに言いたくなる。それを橋本愛以外の誰かではなく、橋本愛本人に言ったのは共演者として信頼してるからこそだろう。

 なので、このハラスメントの正味のところは、橋本愛が泣いたってことなのである。泣いたもん勝ちってこと。フェミニズムの正体見たり、泣いたもん勝ち。

 まあ、それはそれでハラスメントでよいとして、ドラマの主演女優がまともに演技論も闘わせられない、どころか、泣いて芝居もできないってことなら、SNSの誹謗中傷も、正鵠を射ているとは言わないまでも、Bullseyeの近くに刺さっているのかもしれない。
 何より、ダブル主演の片方に演技論、俳優論をふっかけられて、それに応えるでもなく、ハラスメントを訴えて、あまつさえそれを週刊誌にリークするなんて行為は、SNSに誹謗中傷を書き込むのと大差ない。違います?。

 最近テレビで見ない日がない野呂佳代は、ブレイク以前によくバナナマンのラジオにゲストで来ていた。いつだったか忘れたけれど、設楽統にきついこと言われて大泣きした回があった。
 というか、野呂佳代が大泣きしたので、今のきつかったんだなと思っただけで、リスナーとしては何で泣いたかよくわからなかった。設楽統は自分にも厳しいけど他人にも厳しいってタイプ。歯に衣を着せないので、何かが琴線に触れたんだろう。
 ただ、だからと言って、野呂佳代が恨み言のひとつも言ったかといえばそんなことはなかった。泣くのはしょうがないとして、泣いたからってハラスメントだ何だと騒ぐか騒がないかは本人の選択に任せてもよいのではないかと思う。
 野呂佳代主演の『銀河の一票』が今クールのベストドラマだったについて異論はないだろう。こっちもフジテレビなんだけどね、ただし制作は関西テレビだけど。

 以上がフジテレビの説明に全面依拠した経緯だが、それでもこれなので。まぁお粗末さまでした。

『免許返納!?』名作!?

 舘ひろし主演の新作映画が、まさかの『免許がない?』の続編なんだけど、それがまさかの名作とは。
 ネットフリックスの『ガス人間』に続いて、映画の原点を思い出させてくれる。これこれこうじゃなくちゃという感じ。映画愛にあふれていて笑って泣ける。
 
 まず、林民夫の脚本が圧倒的によくできている。映画の公式サイトでは『永遠の0』とか『ラーゲリより愛を込めて 』などが引き合いに出されているけれど、個人的には『ゴールデンスランバー』『フィッシュストーリー』の伊坂幸太郎×中村義洋の名コンビ映画の小気味よい歩調を思い出してもらいたい。たぶん『全裸監督』で名をはせた監督の河合勇人は、私は『身代わり忠臣蔵』しか観てないけど、コメディの演出のツボは心得ていると思う。
 
 舘プロが単独で企画制作した映画の第一弾ということもあってかキャストも豪華。宇崎竜童、吉田鋼太郎、西野七瀬、大地真央、真矢みき、南野陽子、八嶋智人、MEGUMI、内藤剛志、黒川想矢など挙げてったらきりがない。

 改めて言うけど、何より脚本がうまい。
 ふだんフェラーリを乗り回している映画スターが70歳で免許返納はちょっと時期尚早な感じだが、自業自得でそうなる展開が自然。プロットとキャラクターがうまくかみ合っている。
 そして、パロディのアイデアが豊富。この映画全体が『免許がない?』(森田芳光監督だったんですね)のパロディなんだけど、芸能界を本歌取りしてどこかで見たようなキャラクターが楽しい。
 たとえば、西野七瀬が主役のマネージャーなんだけど、元天才子役って設定で国民的大人気ドラマのパロディーシーンが笑える。映画全体考えると不要としか思えないんだけどキャラクターに厚みが出るのは間違いない(これあの人だったんだ?)。コメディはこれくらい大真面目に遊んでくれないと。多分、あの一瞬のためにセットを組んでる。昔、小林信彦が言っていた「分かってる」感じ。映画愛に満ちたパロディの連続なんだけど、おふざけかと思いきや、いくつかはきちんとプロットに絡んでくる。

 個人的に考えるのは、やっぱりM-1とキングオブコントの影響で、日本人の笑いのハードルが上がってると思う。バカリズム、劇団ひとりを筆頭に、書こうと思えば書けるんですけどねっていうお笑いの人はいっぱいいると思う。岸田國士戯曲賞の蓮見翔ですらM-1もキングオブコントも決勝にいけないわけなので。
 そういう知らず知らずに身についてしまった厳しい基準で見てもこの映画は笑える。ちょっと祝祭感すらある。B級グルメコンテストじゃなくてB級映画コンテストがあったらぶっちぎりで優勝だろうと思う。

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『ガス人間 第一号』『ガス人間』

 ネットフリックスの『ガス人間』は、1960年の『ガス人間 第一号』を現代を舞台にリブートしたドラマシリーズ。
 監督は『雨の中の欲情』『さがす』『岬の兄妹』などの片山慎三。そして、VFXは『ゴジラ-1.0』の白組が担当している。オリジナルの『ガス人間 第一号』も『ゴジラ』の本多猪四郎監督作品なので、白組の本多猪四郎作品リブート第2弾は『ゴジラ-1.0』の続編かと思いきや『ガス人間』だったという、おしゃれな配球で観客を翻弄する感じ。
 主演もアメリカでメカゴジラに乗っていた小栗旬。と、蒼井優。本多猪四郎作品とはいえ、『ゴジラ』よりは圧倒的に地味な原作だが、シナリオは『ゴジラ-1.0』よりよく練られているのかもしれない。
 特に、林遣都、広瀬すずの兄妹がストーリーにツイストを加えているあたりはプロの手業を感じさせる。脚本は、『新感染ファイナルエクスプレス』のヨン・サンホ監督とリュ・ヨンジェが主に担当しているみたい。韓国のエッセンスがうまく効いていると見えた。ゴジラは、深海のどこかにそんな生物がいて、放射線の影響で突然変異した、とか、到底ないと思いつつも、まあ納得できるぎりぎりのところではあるが、「ガス人間」って。そのへんの跳躍に韓国エッセンスが一役買ってるかも。
 それともちろん1960年の原作があるからこそ成立するのはまちがいない。『ガス人間』公開前の予習に『ガス人間 第一号』を観た。それでいちばん驚いたのは、全然関係ないけど、八千草薫のきれいなこと。お年を召したころもおきれいだったから、若いころはもちろん美人だったんだろうなと想像はついていたけど、実際に見たら驚くな。あれだけでも観た甲斐があった。
 シナリオも「ガス人間」なのにもかかわらず意外にシンプルで骨格がしっかりしている。「ガス人間」と聞いたとたんに漂ううさん臭さとB級感を存分に楽しませてくれる。そこに八千草薫のファムファタルな絶世の美女のルックスが必要だったんだろうと思う。
 で、現代によみがえった『ガス人間』もそういうB級感をそのまま受け継いでる感じが頼もしい。そのけれんみの無さはけっこう得難いんじゃないかと思う。『新幹線大爆破』もそうだったけど、バブル期以前の日本映画のB級感、ちょっといいよねって感じになってるのかも。
 それにしても「ガス人間」って。お祭りの見世物小屋のレベルだと思うんだけど、そこがいいんじゃないってことか。
 モーリー・ロバートソンが出演していたので驚いた。片山慎三監督のインタビューでは構想6年だそうなので、かなり前から撮り始めていたのかも。岡部たかしもいい役で出ているけれど、キャスティングは『エルピス』以前だったのかも。こばやし元樹の怪演も見逃せない。
 ほかにも中島歩、酒向芳、高島政広、古館寛治、今気が付いたけど、竹野内豊。と、癖の強い役者がそろっていてお得感があるのも見世物小屋っぽい。ドラマシリーズはこのくらい味が濃い方がよいのかも。

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『君は映画』ネタバレ

 『ドロステのはてで僕ら』、『リバー、流れないでよ』に続くヨーロッパ企画×トリウッド映画。
 今回は、下北沢トリウッド自体が舞台になっている。というわけで、京都に拠点を置くヨーロッパ企画にはめずらしく、一連の下北沢映画の一角をなす作品群に連なることになった。
 それともうひとつ特筆すべきは、この映画はヨーロッパ企画主催の上田誠の初監督作品。と言われてみて、今までの映画は上田誠監督作でなかったのかと振り返ってみたら、山口淳太 という人が監督していたみたい。

 下北沢のちいさな映画館トリウッドが舞台になっていることからも予想できるかもしれないが『君は映画』は、ふたつの映画が混線してしまうっていう奇想天外な映画。
 映画の世界と現実世界がつながってしまうのは『ラスト・アクションヒーロー』とか『魔法にかけられて』とか、ほかにも過去になくはなかったが、映画と映画がつながってしまうのは見たことがなかった。

 で、いつもどおりのややこしさでくらくらさせてくれるのだけれど、今回ちょっと不満が残るのは尺の短さ。68分はこのややこしさにはちょっともの足りないのではないか。もっとぐいぐいしつこいくらいえぐるのが今までのヨーロッパ企画映画だったと思う。
 もうあと一時間はやれたと思う。特に、ふたつの映画の世界が重なってからの展開。たぶん、上田誠のことだから、そのさきももっといろいろ遊ぶ気満々だったと思うのだ。そうでないはずがない。やっぱり予算の問題なのかもな。
 SFとノアール、ファンタジーと殊更にリアルな世界がまじりあうわけなので、あの先、いくらでも笑わせられたと思う。やっぱり、劇団をやりながら監督脚本はハードワークすぎたのではないか。ちょっと途中で降りちゃった感じがした。

 片方の主人公がもう片方の世界を映画として見ている。ので、「あれ?、あいつあやしいんじゃねえの」とか私たち観客が考えるようなことを片方の主人公に吹き込む。
 でも、そういう無責任な観客の「考察」が当たるかどうかはわからない。観客の考察の斜め上を行ったりするわけで。で、後半、そのふたつの世界が交じり合っちゃうわけで。あの先がもっと見たかったなぁ。
 最後、主人公が「やっぱ私、演劇の方が好きだわ」とか言っちゃってる。上田誠の本音か?と思っちゃった。

 上田誠はいまや岸田國士戯曲賞の審査員だから。ダウ90000の蓮見翔が念願の岸田國士戯曲賞を受賞したわけだけれども、こうやってみるとやっぱりダウ90000は始まったばかりってわかる。映画ファンとしてはダウ9000 だけでオリジナル映画を作って海外で賞を獲るくらいまでいってほしい。

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