東京国立博物館に初詣 書画

 屏風では松林図屏風と

曾我蕭白 松鶴人物図屏風
曾我蕭白 松鶴人物図屏風

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と、個人蔵なので撮影できなかったが、狩野元信の四季花鳥図屏風があった。狩野元信は、狩野派の二代目だが、事実上狩野派の基礎を築いた人なので300年後には様式化する表現のオリジナルが見られる。

仙厓義梵 富嶽図
仙厓義梵 富嶽

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 お正月なので富士の絵も揃えている。けど、仙厓のこの富士が正しい気がします。よく読めないけど、文政7年の元旦に日本橋で見た富士山らしい。この一筆書きの小さな富士が、江戸の元旦を思わせるのが不思議です。

宋紫石 日金山眺望富士山図
宋紫石 日金山眺望富士山図

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 宋紫石は、南蘋派の画風を江戸に伝えた人だそうです。 
 福田美術館で見たように沈南蘋の絵は精細な花鳥画には向いているけど,富士山なんて精密に描いたとて。精密に描けば描くほどキッチュに見えるパラドクスは、私たちの共通認識にある富士の姿があまりにも強力すぎるせいかもしれません。

狩野山雪 林和靖図 山水図 三幅対
狩野山雪 林和靖図 山水図 三幅対

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 老松図襖、雪汀水禽図屏風などの名作で知られる狩野山雪の掛軸、三幅対。

金光明経 巻第二・第四(目無経)
金光明経 巻第二・第四(目無経)

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 「後白河法皇を中心に進行していた物語絵巻の制作が、建久3年(1192)の法皇崩御によって中止され、法皇の供養のために、未完成の料紙を転用して書写された写経です。下絵の題材は不明ですが、多くの人物の目鼻が描かれていないことから、「目無経」と呼ばれています。」
 これを作った人たちにも当然「平家納経」の豪華さは頭にあったはず。将来「目無経」と呼ばれると意識したかどうか知らないが、もし悪意としても洗練されている。後白河法皇に対する当時の人たちの感情に思いを馳せてしまいます。

一休宗純 七言絶句 「峯松」
一休宗純 七言絶句 「峯松」

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後小松天皇の子として生まれた一休は6歳で出家し、やがて悟りをひらいて権力に媚びない生き方をしました。その書は破格で、既存の書法と一線を画します。」
 一休さんって天皇の子だったんですね。

古今和歌集 巻第四巻首(筋切)
古今和歌集 巻第四巻首(筋切)

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古今和歌集巻第四 秋 上
古今和歌集巻第四 秋 上

「天地を貫く五本の線(筋)が名前の由来です。藍と紫の飛雲を漉きこみ、金銀の揉み箔を一面にまいた料紙に『古今和歌集』巻第4の巻頭が書写されています。もとは粘葉装(でっちようそう)の冊子本でした。藤原佐理筆と伝わりましたが、今日の研究で藤原行成の曾孫定実自筆と推定されています。」

田村水鴎 羽根つき図
田村水鴎 羽根つき図

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江戸城本丸表向総絵図
江戸城本丸表向総絵図

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「本作品は、江戸城本丸御殿の表と中奥を俯瞰でみた絵図です。表は公的な謁見や儀式等が行われた空間、中奥は将軍の生活空間です。この図の上方(北側)には御台所や側室が暮らす大奥があります。天保15年(1844)の火災後の再建時に作られたものです。」

 この見取り図がSUUMOに載ってたらさすがに冗談だろって思いますよね。

東京国立博物館に初詣 刀剣類 閲覧注意

 最近のキャンセル・カルチャーの嵐は酷いものだと思います。星野源が「地獄でなぜ悪い」を紅白で歌えなくなったとか。
 映画『地獄でなぜ悪い』には星野源も出てたし、亡くなった西田敏行もでてたのですが、園子温監督が女性関連でごちゃごちゃしたのは知ってますけど、『地獄でなぜ悪い』は、問題になった当該の映画とは違うのだし、『地獄でなぜ悪い』って映画が問題になるのもどうかと思うくらいなのに、その主題歌も歌っちゃダメって、これがフェミニズムなら私は反フェミニズムの立場につきますね。
 中居正広の件についても、そもそもファクトがまだ何もわからない段階で、中居正広に同情的な記事でさえ「被害者の女性」って平気で書いてるけど,現在公表されてる事実だけでいえば、なんらかのトラブルがあったってだけですよね。そしたら、その女性は「被害者」ではなく、トラブルの当事者ですよね。中居正広も加害者ではなく同じくトラブルの当事者にすぎない。いま知りえる情報だけならそうとしかいえないはずなんですけど。その「被害者」の女性は「許せない」と発言したとか。いや、9000万もらってるんですよね。「許せない」ならもらっちゃダメ。貰うんなら許さなきゃダメ。そのカネを受け取ったかぎり「許せない」という資格はない。9000万ですよ。いくら中居正広でも端金じゃないよ。誠意って言っていいお金だと思いますけどね。
 で、何を言いたいかといえば、今からお見せする刀剣類の多くは確実に人を殺してます。ご不快なら見ないでください。


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 東京国立博物館に行くたびにこうやって刀を撮影してきたけど、最初からキャプションと一緒に撮影してたらよかった。なんでこれに気が付かなかったかな。
 この関兼元、いわゆる関孫六は、以前のキャプションでは「豊臣秀吉の差料だった」とあった気がする。


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東京国立博物館に初詣 巳年関連

トーハク 正面階段
トーハク 正面階段

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 日曜日に東京国立博物館に行ってきました。ご存じのとおり祝日の前日は午後八時までですので。
 ただ、誤算だったのは国立西洋美術館の夜間営業は金曜と土曜だけだった。まあ朝早いとは言えない、午前十一時の少し前だったんだけど、国立西洋美術館ファサードは大行列。モネ展がすごいことになってるみたい。
 東京国立博物館のお正月といえば長谷川等伯の松林図屏風。

長谷川等伯 松林図屏風
長谷川等伯 松林図屏風

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 国宝の中の国宝と言われる松林図屏風をこんな間近で見られて、しかも、撮影自由なのに、国宝室はせいぜいこんな感じ。
 水墨画、特に山水画が対象ではなく空間を描くものだというのが最もよくわかる。それこそ、モネが《日の出、印象》を描いた時に目指した方向はこれだったと思うのですけど。

東京国立博物館 国宝室
東京国立博物館 国宝室

 長谷川等伯が七尾の出身なので、能登地震に関する募金もやってます。七尾の松林を船の上から見た構図だとも聞いたことがあります。

東京国立博物館 - 東博について 会員制度、寄附・寄贈 博物館事業への寄附について

 
 お正月らしい、巳年にまつわる展示。

巳年にまつわる展示
巳年にまつわる展示
十二神将立像(巳神)
十二神将立像(巳神)

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十二神将は、薬師如来が発した12 の誓いに対応して仏法を守護する 神々です。中国で12種の生物と結び つき、巳神は頭上にとぐろを巻いた 蛇を表わします。下を向きながらに らみをきかせる様子は迫真の表現 で、まるで蛇のようです。京都・浄瑠璃寺に伝来しました」

弁財天坐像
弁財天坐像

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「とぐろを巻いた蛇の体に老人の顔をもつ字賀神を、頭上にいただく弁才天です。宇賀神は宇迦之魂神と して『古事記』にも登場する食物や 福徳の神で、鎌倉時代になると同じ く福徳の神である弁才天と結びつく ようになります。本像は宇賀神が制作当時のまま残る最古の作例です」
鎌倉時代・13世紀|木造、彩色・截金、玉眼。

弁財天 葵岡溪栖
弁財天 葵岡溪栖

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袴垂保輔鬼童丸術競図 月岡芳年
袴垂保輔鬼童丸術競図 月岡芳年

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通俗水滸伝豪傑百八人之一個・中箭虎丁得孫 歌川国芳
通俗水滸伝豪傑百八人之一個・中箭虎丁得孫 歌川国芳

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真勇競・きよ姫 歌川国芳
真勇競・きよ姫 歌川国芳

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 芳年は師匠の国芳よりちょっとカッコつけてる感じに見えるのは明治になったせいで、お高く止まらざるえなくなったのかも。長州の田舎侍に有り難がらせなきゃならないので、こういう演出も必要だったかと。
 歌麿はアンティミストで、この姿勢が印象派に与えた影響も無視できないのかも。メアリー・カサットは浮世絵のコレクションをしていてこの影響は明らかですが、彼女だけでなく、印象派の画家たちが歴史画より身近な画題を好んだのは間違いなく思われます。
 最近の西洋美術は、結局、歴史的便器を本尊としているようで、要するに権威主義に戻りたいってことみたいですね。

浮世七ツ目 巳亥 喜多川歌麿
浮世七ツ目 巳亥 喜多川歌麿

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還城楽図額 海野勝珉
還城楽図額 海野勝珉

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ナーガ上のブッダ坐像 タイ アンコール時代
ナーガ上のブッダ坐像 タイ アンコール時代

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ナーガ上のブッダ坐像 タイ アンコール時代
ナーガ上のブッダ坐像 タイ アンコール時代

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 こういうの見ると、仏像の光背の起源がコブラだったのかと思いたくなりますが。どっちが先かわからないし。「悟りを得たブッダが瞑想する間、蛇の王が傘となり雨風から守ったという仏伝に基づいた仏像です。」だそうです。12〜13世紀。

ヴェレトリのアテナ
ヴェレトリのアテナ

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 西洋に移るとこんな感じ。「ヘビがアテナのシンボルとなった背景には、その昔、アテネの神殿に大蛇が棲んでいると言じられていたこと、ヘビが知恵を想起する生き物であったことが関係しています。」だそうです。胸元を飾っているのはゴーゴンみたいですね。

色絵虫魚浮彫飾皿
色絵虫魚浮彫飾皿

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この皿でパスタは食えない。

蛇型容器 地中海東部出土
蛇型容器 地中海東部出土

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銀化が美しい。

蛇型土偶 伝イラン、ルリスタン地方
蛇型土偶 伝イラン、ルリスタン地方

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 これが土の中から出てきて蛇の土偶だと気づいた人の集中力がすごい。

北陸新幹線

 この正月明けは思いつきで北陸回りで帰ってきた。
 加古川で乗り込んだ新快速がたまたま敦賀行きだったので、そのまま敦賀まで乗ってみた。急いでもないし、荷物も少ないので、全然快適でしたけどね。
 私のふだん使ってるアプリでは、その後、ハピライン福井〜IRいしかわ鉄道〜あいの風とやま鉄道〜えちごトキめき鉄道、そしてJRと乗り継げばその日のうちに辿り着けそうだったんだけど、後から考えるとそれは見間違いで、翌日の11:00を勝手に23:00と脳内変換したのかもしれなかった。
 ともかく、敦賀からは北陸新幹線に乗るつもりだったので、そこからは、はくたかの自由席に。アナウンスでは指定席は満席だったらしいが、自由席は貸切状態。2号車の1番前の席に座って窓の外を見ていたので、車内の状況に注意していなかったが、確かに途中からは混んできた。
 途中から乗ってきたインバウンドの人が変だったな。私は2列席の窓側に座ってる。入ってきて前の大荷物置き場にトランクをおいたので、隣に座るんだろんなと思ってたのに座らずに立ってる。すぐ降りるのかと思うとそうでもないし、荷物が心配なのかと思いましたけど、お連れさんが荷物の見える席に座ってるし、しばらく、ほとんど小一時間近く経ってから、座っていいかって言って座ったんだけど、自由席だから、座っていいに決まってるし。それが自由席だから。それにあなたが立ってるところはほぼ座面の前だから。通路って言えないから。事実上その席占有してますし。声かけるべきなのかなあとか、そうとう気になった。でも、どうぞはおかしいでしょ。俺の席じゃないし。せっかく座ったのにすぐ女の子に席を譲ってどっかに行っちゃった。降りたのかも。
 私のマナーが良くなかったのかな、つまり、欧米水準では。確かに、最初は貸し切り状態だったので、隣のリクライニングも倒してたけど。荷物も置いてないし。というか、状況が理解できなくて。声かけるべきだったかなあ。でもふつう座る方が声かけるよなあ。そのつもりで待ってたけどな。英語圏の人でなかったかも。でも、「May I?」「sure、go ahead」で済むよな。訳がわからなかった。
 それはともかく、北陸新幹線敦賀から小浜に回すか、米原に接続するかでもめてるらしいけど、ぶっちゃけどっちもいらない。混んでくるのは長野から。どっちかっつうと東京一極集中をどうにかすべきじゃないかな。国鉄自体がそもそも一極集中装置なんじゃないだろうか。東京いきを「のぼり」なんて言ってるその言葉遣いがおかしい。
 どうしても、東海道新幹線のバックアップがほしいとというなら、米原東海道と合流したら意味ないよね。小浜ルートでないと。
 でも、そもそもの話をすれば米原東海道でもなんでもないんだから、北陸新幹線米原以西の東海道新幹線に合流させる代わりに、名古屋からほんとの東海道沿いのシン・東海道新幹線作ったらどう?。そっちの方が需要高くない?。四日市市通って、今の関西本線草津線沿いにさ。

伊藤若冲展 小松均展

 正月だからといって京都のような大観光地で美術館が閉まっているのはどうなんだろうと思わぬではない。  
 その点、福田美術館は開業以来ずっとこの正月興行を続けている。それでも珍しいことに、渡月橋の目の前なのに、意外にインバウンドの客は少ない。
 伊藤若冲もそれこそ京都で学生をしている頃からずいぶん見てきたはずなのに、当たり前のように、未見の作品を目にすることができる。

《果蔬図巻》伊藤若冲
《果蔬図巻》

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 これが世界初公開だそうです。
 伊藤若冲はもともと青物問屋の跡取りだったはずなので、例えばライチとか、そんな果物が江戸時代にあったの?って感じ。
 伊藤若冲といえば

鶏図押絵貼屏風 伊藤若冲
鶏図押絵貼屏風 伊藤若冲

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という鶏もありましたが、個人的には

瓦に鶏図
瓦に鶏図

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 あと、それから、《乗興舟》があって「?」となったのですが、というのは、千葉美術館の所蔵と思っていたので貸し出しかと。ところがよくよく聞いてみると、あの巻物は版画だったんですね。なので、今ふうにいうとエディションがあるのですね。
 あの白黒反転したような画面は、一般的な版画と違って、拓本をとるような刷り方をしたそうで、ああなってるみたいです。
 伊藤若冲相国寺の大典和尚と淀川下りをした折りの感興を絵画化したものだそうなので、上方落語の「三十石」を聞いていると夜舟だと思ってしまうので(三十石は夢の通い路)あの絵も夜景だと思ってたのですが、よく考えれば夜じゃ見えないか。でも、夜に見立てたかもな。

https://colbase.nich.go.jp/collection_items/kyohaku/A甲1312?locale=ja

 伊藤若冲30点に加えて、鶴亭の作品も複数ありました。

蕃椒図 鶴亭浄光
蕃椒図 鶴亭浄光

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梅・竹図押絵貼屏風 鶴亭浄光
梅・竹図押絵貼屏風 鶴亭浄光

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 鶴亭については、2016年に神戸市立博物館で展覧会があった。鶴亭は画号で黄檗僧としての名は海眼浄光というらしいが、25歳で還俗しているので画僧といっていいかどうかよくわからない。
 沈南蘋の直弟子の熊斐に学んで沈南蘋派の画風を伝えた。この人が長崎で熊斐に学んだ画風を京都に伝えたってことなんだろう。沈南蘋の影響は伊藤若冲にも見られる。

沈南蘋 花鳥図
沈南蘋 花鳥図

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 鶴亭は木村蒹葭堂の絵の師匠でもあったそうで、木村蒹葭堂水墨画もあった。

竹石図 木村蒹葭堂
竹石図 木村蒹葭堂

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 常設展あつかいの第3室も今回は曾我蕭白円山応挙。贅沢。見逃せない。

曾我蕭白 虎図
曾我蕭白 虎図

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龍門鯉 円山応挙
龍門鯉 円山応挙

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2025年1月19日まで。

 美術館「えき」KYOTOで、小松均展が開かれている。2025年2月3日まで。
 小松均は明治以後の水墨画家では最も重要な画家だと思う。
 今は、水墨画の最盛期と言われる室町時代の絵から江戸末期の狩野芳崖まで、並列に並べて見られる環境にある。それこそ国宝中の国宝、長谷川等伯の松林図屏風まで引き合いに出さずとも、円山応挙、長沢蘆雪、曾我蕭白伊藤若冲など、ほとんど幕末というべき絵師たちの水墨画から明治以後の画家へと急速に水墨画の技術が失われていく。
 具体的にいえば、富岡鉄斎河鍋暁斎など同時代人に絶賛されていた絵師たちの展覧会を観た時のガッカリ感。志賀直哉だったか夏目漱石だったかの小説に、富岡鉄斎を絶賛する客人に、内心、そんなはずはないと思うシーンがあった。
 明治と江戸に文化的な断絶があるのがよくわかる。それこそ木村蒹葭堂などの文化人ネットワークが失われて、そして、何が失われたかさえ気がついていなかった可能性がある。 
 明治以後の文化人たちは内心、水墨画をバカにしていた。今にしてみればどっちがバカなのかいうまでもないが、当時の彼らの感覚としては浮世絵はもちろん水墨画なんてアートじゃなかった。
 河鍋暁斎富岡鉄斎はそんな時代の何かしらの何かだったみたい。今プレーンに見てこの2人を評価する気になるかどうか。
 小松均は室町以来の水墨画への回帰というだけでなく、西洋画の影響を経た上で東洋的な精神性に回帰した最初の画家だと思う。

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クルマの未来

 といっても「高比良くるま」ではなく自動車の話。
 2024年はEVの売り上げが失速した。単に踊り場なのか、それとも市場の流れが変わるのかはわからないが、いずれにせよ化石燃料に未来がないのは1970年代のオイルショックの時からわかっていた。その期限がどこまで伸びるのかに期待していても未来はない。
 にしても、現在地上に溢れているガソリン車が全て電気自動車にとって代わった場合、はたして電気がまかなえるのかという素朴な疑問に答えてくれた人はいない。
 そして、もし賄えたとしても、生活のエネルギーのほぼすべてを電気に頼ってしまっていいのかという素朴な疑問。クルマも鉄道もすべて電気となると、ひとたび電気が止まれば全物流が止まることになるが、その選択は正しいか?。オール電化という掛け声に乗ったあげく、東日本大震災の時にどうなったか?。それをまた、後戻りできないやり方で繰り返すのか?。
 個人的には、自動車の動力源については、all-or-nothing、Winner Takes AllではなくEV、水素、あるいはエタノールなどの複数のエネルギーが共存するのが少なくとも当面あるべき姿ではないかと考えている。
 そもそも電気自動車はガソリン車より歴史が古いくらいで、技術としては簡単。だからこそ後発のメーカーもプレーヤーになりえる。
 ただ、電気自動車が普及しなかったについては、普及しないだけの理由があった。充電に時間がかかる、寒さに弱い、など、で、いろいろ付加価値をつけたとしても、その根本の欠点が解消されないなら、電気自動車にもあまり期待はできない。
 テスラも結局、金持ちの道楽程度にしか普及しておらず、現状はクルマの未来像とは言い難い。
 EVが普及してるのはむしろ中国で、これは、そもそもガソリン車の大メーカーが存在してなかったことが大きいだろう。
 中国の大市場でEVが売れ続けていることは確かに世界中の自動車メーカーに対する圧力になるだろう。とは言え、EVに関しては中国の国内メーカーに価格で太刀打ちできるわけがない。すでにシェアを占領されているなら尚更のこと。となると、中国以外では売れないEVの開発に力を注ぐメーカーは少ないだろう。
 しかも、中国の市場は、ひとりっ子政策のせいで、日本以上の急速さでこれから縮小してゆく。すると行き場を失った中国のEVがインド、アフリカなどのこれから成長する市場に溢れてくることになるだろう。
 インドの大気汚染はひどいし、寒冷地でもないから、インドでのEVには可能性がある。しかし、その条件は、燃料電池車にとってもイーブンなので、次の覇権はインドの市場を取れるかどうかにかかっていると思える。
 インドは中国と政治的には仲が良くはない。また、インドにはタタがあり、SUZUKIも古くからかなりのシェアを有している。となると、中国のEVもそう簡単に市場を独占するわけにいかないだろう。
 水面下で何が起こっているかは知りようがないが、今は嵐の前の静かさというか、全てがフラットでどちらに転んでもおかしくないように見える。古くはVHSとベータとか、AppleWindowsとかが覇権を競っていた頃に似ている。その歴史が示すことは、勝敗を決するのはハードの性能ではないってこと。
 テスラは2027年までにロボタクシーを実現化すると発表している。タクシー会社でも作るのかというとそうではなく、これを個人で買うらしい。普段は自分が乗って乗らない時はクルマがタクシーで稼ぐっていう、何か投資マンションみたいなあやしい話。じゃあ、テスラ社がロボタクシーをバンバン街中に放置していけばそれで稼げるって話じゃないのか?。
 それはともかく、クルマの勢力争いはEV、PHV、FCVなどハードの争いに見えて、実は、自動運転などのソフトウェアとサービスの争いこそ肝なのだということがわかる。
 モノではなくコンセプトにどれくらいの説得力があるか、クルマではなくクルマ社会をどのようにスクラップアンドビルドしてゆくのかの構想がとれほど現実的なのかにかかっている。
 そもそも若者のクルマ離れが定説になっている時点でクルマ社会は再構築を求められていた。日本は公共交通網って視点からもガラパゴス化していてクルマなしでも生活できる人口比は高いと思われる。ロボタクシーは天下を取りそうではない。
 戦後のクルマ社会の雛型はアメリカ社会だった。世界中がアメリカのようでありたいと願ったってことになる。世界が今そう思っているかどうか、あるいはEVの発展を見て、中国のようになりたいと思っているかどうか。
 再構築の時期には、誰がかつてのアメリカのような理想的な社会の雛型を示せるかが鍵となる。日本社会は、意外にも、そうなりえる資格はある。資格があるだけで現実にはそうなっていないが、社会インフラもあり、EVもPHVも FCVも自国で生産できる。だけでなく、水素運搬技術も世界に先駆けて開発している。残念ながら、ソフトウェアが弱くて政治家が無能ってあたりに負けフラグが立っているが。
 以上を鑑みて個人的な意見を言わせて貰えば、近距離はグラフィットのような電動キックボード、遠距離はFCVとなっていくのが理想的に思えるがどうだろうか。


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M-1の未来

 M-1の審査員がほぼ同年代の漫才師で固められたについて伊集院光が懸念を表明していた。オードリー若林正恭はそれに応じて「蛸壺化」する可能性を指摘していた。
 2024年のM-1は、「いつまでもM1が夢の入口でありますように」という島田紳助の「題辞」が話題になった。しかし、よく知られるように、そもそもM-1を始めた時の島田紳助の意図は10年やっても売れない漫才師に夢を諦めさせることだった。
 そのため審査員も島田紳助が声をかけた人たちで厳しい審査も多く、コンテスタントとの芸歴の差も歴然としていて有無を言わさない感じがあった。
 その最後の生き残りだった松本人志が辞め、主催側はその代役を誰かにする選択を取らず、審査員数を9人としてひとりひとりにかかる責任を軽くした。
 東京ドーム公演を成功させた直後とは言え、オードリー若林も松本人志の代役というオファーだったらそれを受けたかどうかわからない。
 大会も20回の節目を迎え、5年のブランクを挟んで四半世紀の歴史を重ねているわけで、審査員もほぼ全員M-1の経験者、コンテスタントの方もM-1を目指してこの世界に入ってきた人たちも多く、そうなると4分という特殊な漫才のカタチが、競技漫才という独自な世界を確立してしまった感はある。
 そこに伊集院光の懸念があるわけだが、一方で、去年から今年のM-1はホントに面白かった。敗者復活戦から決戦までどの組も面白い。この現状は島田紳助も予想しなかったことだろう。
 野田クリスタルは「M-1がテレビより強くなった」という言い方をしている。箱根駅伝にたとえるなら、昔は駅伝途中に踏切が降りていたら選手はそれが上がるまで待たなければならなかった。ところが今は電車のほうが選手を待つ。駅伝が電車より強くなった。
 今のM-1はテレビに忖度する必要がなくなった。視聴者が見ているのはM-1であってテレビではない。当たり前のようだが、そう言い切れるコンテンツは実は箱根駅伝高校野球のようなスポーツ中継を除いてはほとんどない。
 だからこそ競技漫才と言われるのだろうが、この影響はコンテスタントの側にも変化をもたらしている。ゆにばーすの川瀬名人が漫才に影響するからとテレビに出ないのは有名だが、M-1二連覇を成し遂げた令和ロマンが、チャンピオンイヤーだった2024年にどれほどTVに出ただろうか?。
 M-1がテレビで売れるためのキッカケであることは、開設の経緯からしても暗黙の共通認識だったはず。しかし今はテレビに出なくてもYouTube、舞台、単独ライブなどでそこそこ食える。
 それよりも重要なことは、今はテレビに夢がない。それは松本人志が今回の審査員にいない経緯にもよく現れている。松本人志は痛くも痒くもないだろうが、ランジャタイの伊藤となるとどうだろうか?。あの謹慎の経緯に納得できる人いるんだろうか?。
 10,000組を超えるコンテスタントの中からM-1で優勝するのは並大抵のことではない。その結果、アホとしか言いようのない判断でテレビから干されるとしたら?。若者がそこを目指すかって話。これは実にわかりやすい。
 しかし、これはテレビの現状の話、M-1の未来の話ではない。テレビには現状だけがあって未来なんてない。未来なんて考えず、現状に合わせていける人間だけが泳いでいける世界。
 そのテレビに勝ってしまったM-1はどこに行くのか。島田紳助が漫才を辞めた理由のひとつは「漫才なんて正月だけにやる古典芸能になっていく」だった。これは当たったとも言える。M-1がまさにそういうものだとも言える。これは伊集院光の懸念と重なるだろう。
 しかし、他ならぬM-1の存在が漫才の未来を変えたとも言える。夢を掴めるのはほんのひと握りの人だとしても、いずれにせよ、夢のない世界に集まってくるのは腐った人間だけなのは間違いない。その意味でM-1が漫才の世界に夢を咲かせたことは間違いない。重要なのはむしろそのことなんだろうと思う。