『パスト ライブス/再会』ネタバレ

 「移住」って日本人にはあまり馴染みがない。主人公ノラの、韓国からカナダへ家族で移住して、長じてさらに単身アメリカへ、という経歴は、セリーヌ・ソン監督自身の経歴でもあるそうだ。
 そう聞くとこの映画の冒頭はそういう経歴の人に独特の視点なのかもしれない。一瞬、画面に映っている3人、ノラ(グレタ・リー)、ヘソン(ユ・テオ)、アーサー(ジョン・マガロ)の会話なのかと勘違いしたが、最初に聞こえてくるのは、その同じ店内で食事している誰かの会話なのだとすぐに気がつく。「あの3人どういう関係だと思う?。アジア系の男女とひとりは白人」。
 上手い導入だと思う。多くの場合、観客の視点は主人公に寄り添いがち。それをまず全くの赤の他人の視点にセットする。が、またすぐに、それは同時にノラの視点でもあることにも気がつく。
 午前4時にちょっと飲んでる私たちはどう見えているのだろうという、自分以外の目に、たぶんずっと敏感であっただろうし、その目を彼女自身のものともしてきただろうとも思うから。
 まさにこの映画を観た映画館にもきれいな白人女性がいた。きれいだから目を引いただけなのだが、でも確かに、それが白人だったり黒人だったりした場合は、もうひとつ別の「今の目線はぶしつけじゃなかったろうか」といった気持ちが乗っかる。
 ましてや移民として生きる人たちはそういう二重の感覚を育んでいくことになると思う。この映画の淡々とした描写にずっと持続する緊張感はそこからも来ると思う。
 ポスターにノラ(グレタ・リー)とヘソン(ユ・テオ)しか写っていないので、まるで韓国映画のように見えるが全然違う。日本では「冬ソナ」から始まった韓国ドラマのイメージは、この映画にはむしろマイナスに働いているように感じる。良くも悪くもあのメロドラマのイメージとはかけ離れたドラマだということが、あのビジュアルでは伝わらない。
 GQのインタビューによると

『パスト ライブス』は、批評家によってウッディ・アレンノア・バームバックリチャード・リンクレイターらの作品群との比較で論じられている

そうだ。そして、セリーヌ・ソン監督自身は

「『パスト ライブス』が何にいちばん近いかと聞かれれば、あの映画(ウォン・カーウァイ監督の『花様年華』)でしょうね」

とも語っている。

 演出の斬新さもこのデビュー作の巻き起こしたセンセーションに一役買っていることは間違いないだろう。
 ヘソンとノラがUberの車をただ待っている。例のバーですごしたあとノラがヘソンを見送りに出たのである。ソンは、脚本を執筆した段階から、車が到着するまでの時間を「2分」と決めていた。撮影現場ではソンが車の合図を出すことになっていたので、そのタイミングはソンにしかわからない。その間、2人は向かい合ったまま。セリフもない。このシーンは見応えがあると思う。

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