『マザーレス・ブルックリン』いい映画なのに上映館が少なすぎる

 『ファイト・クラブ』のエドワード・ノートンが、製作、監督、脚本、主演をつとめた『マザーレス・ブルックリン』。ウィレム・デフォーブルース・ウィリスアレック・ボールドウィンボビー・カナヴェイルが出演する。

 ジョナサン・レサムの原作では1999年だった設定を、エドワード・ノートンの脚本は、1950年代に変えた。その理由については、原作の登場人物がまるで50年代の探偵映画みたいで、原作そのまま1990年代の設定にすると観客が斜にかまえてしまうだろうということと、もうひとつは、官僚組織の腐敗と人種差別が支配した、50年代半ばというその時代がまさに、今のニューヨークの基本構造を決定した時期だったと思うからだそうだ。

 エドワード・ノートンが演じる、トゥレット症候群の探偵「ライオネル・エスログ」が対決する、アレック・ボールドウィン演じる「モーゼス・ランドルフ」は、名前からしても、水泳好きなところからも、ロバート・モーゼスをモデルにしているのは間違いない。市民運動で、ロウワー・マンハッタン高速道路の建設を中止に追い込んだ、ジェイン・ジェイコブズをモデルにしたらしい女性活動家も姿を見せていた(かなり似てる)。


映画『ジェイン・ジェイコブズ:ニューヨーク都市計画革命』予告編

 ロバート・モーゼスが絵を描いて、なかば実現させたニューヨークの大改造に賛否はあるとしても、彼が「スラム」と称された地域に住む人たちの生活を顧みなかったことは間違いないだろう。貧しい人たちが集まって暮らしている地域を、「スラム」と名付けること自体に差別があるだろう。

 『私はあなたのニグロではない』のジェームズ・ボールドウィンは、低所得者住宅は、結局のところ、隔離政策にすぎなかったと語っていた。

 一方で、ロバート・モーゼスという設計者なしで、官僚と既得権益者の都合だけで乱開発が行われていたら、ニューヨークがどうなっていたか、その「if」は、考えてみてもしょうがないのだが、善悪正邪を簡単に判じきれない、その光と影のコントラストの強さが、映画に独特な魅力を添えているという意味で、この時代設定は成功だったのではないかと思う。

 ググ・バサ=ローが演じたヒロインの「ローラ・ローズ」の存在も効いている。ロバート・モーゼスが、この時代の白人男性らしく、黒人に差別的であったことは証言からも確からしいが、それにひねりを加えて映画的にキャラクター化したかのような存在になっている。

 大きな力でたわめられたようなこの世界を動き回る探偵が、トゥレット症候群に悩まされていて、社会に適合できないのも、観客の視点の置き場所としてすごくうまいと思う。複雑な話が割とすんなりとわかるのは、社会の外側から事態を眺めざるえないこの主人公の視点があるからだろう。

  ジャズが魅力を添えている。レッド・ルースターという店名は、わたしが知っているのは、ハウリン・ウルフの曲名としてだから、ジャズというよりR&Bなんだけど、その店で、主人公がトランペットにあわせてスキャットしたりする。あの辺、やりすぎないのもいい。上映館が少なすぎるのが残念。

 

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『マザーレス・ブルックリン』本予告