「未来と芸術展:AI、ロボット、都市、生命――人は明日どう生きるのか」観ました

 森美術館で「未来と芸術展:AI、ロボット、都市、生命――人は明日どう生きるのか」を観た。
 いきなり、AI×美空ひばり「あれから」を一曲見せられた。不気味でこそないものの、悪趣味でグロテスクだと思った。AIが歌を歌っても全然いいと思うが、それが美空ひばりの姿である必要はないし、美空ひばりの歌を懐かしむときにAIの手助けを要する人はいないと思う。そういうわけで、ひどいちぐはぐ感を抱えて門をくぐった。
 この展覧会は、2011年に同じこの森美術館で開催された「メタボリズムの未来都市展」が発想の発端になっているそうだ。「今、もし、高度に発展した情報処理技術やバイオ技術を援用したら、メタボリズム都市は実現可能だろうか?」と。
 でも、水を差すようだけど、1960年代のメタボリズムは機能しなかったし、機能しなかった理由もうすうすはわかって、あのとき、福岡伸一が言ってたのは、もともとメタボリズムは新陳代謝を意味する生物学用語で、

 生命体は、ビルの直方体カプセルを取り換えるようなマクロな次元では新陳代謝していない。個々の細胞ですら交換の基本単位となっていない。それよりもはるかに下位の次元で、ミクロな分子の粒のレベルで絶え間ない分解と合成を繰り返している。

そういうものなので

・・・西洋文明が具現化してきた頑丈で恒久的な建築ではなく、生物のように変化し、成長し、増殖しつづける建築を目指そう。そしてひいては都市像を立案しよう。そんな斬新な運動だった。

そういう建築用語として掲げられたメタボリズムにはそもそもの出発時点で誤解があった。「西洋文明が具現化してきた頑丈で恒久的な建築」も、生物学用語としてのメタボリズムを内包して「生物のように変化し、成長し」生き続けてきたはずなのである。実は、メタボリズムなどと改めて唱えるまでもなく、都市は生きていた。
 もともと生きている都市を生きていないと捉えて、生きているような都市を作ろうとしたところに、そもそもの履き違えがあった。
 もし正確にメタボリズムという場合、もっとミクロな視点、つまり、そこで営まれてきた暮らしの視点まで含む全体性が必要になるが、そうなると、それはもう都市計画というより思想になってしまうし、ならざるえないことに、60年代の建築家の目が届いていたかといえばそうはいえないと思う。
 
 『ジェイン・ジェイコブズ ー ニューヨーク都市計画革命ー』というドキュメンタリー映画があった。1960年代のアメリカが舞台で、ニューヨークの再開発を推し進めようとするロバート・モーゼスと、地域のコミュニティを守ろうとするジェイン・ジェイコブズの価値観の対立が描かれていた。
 こういう鳥の目と虫の目の対立を単純に正邪で裁いてしまうことは難しい。1960年代に、ロバート・モーゼスの計画どおりに再開発されたデトロイトがゴーストタウン化する一方で、ジェイン・ジェイコブズが守ったブルックリンは今でも活気がある。それでも、それを単純に正邪の判断で裁断してしまうのは難しい。
 フレデリック・ワイズマンが監督した『ジャクソンハイツへようこそ in Jackson Heights』というドキュメンタリー映画は、2015年公開だったが、1960年代と同じ価値観の対立が、今度は、ジェイン・ジェイコブズとロバート・モーゼスという人格を持たず、gentrification(ジェントリフィケーション)という形で進行している。
 メタボリズムという視点で見たとき、gentrification(ジェントリフィケーション)は、成長なのか、それとも、ガン細胞の増殖なのかは、判断が難しい。しかし、ただ見た目に綺麗になったとしても、もっともミクロのコアな部分で、住民のコミュニティが失われているのなら、60年代の再開発と同じ結果になるんだろう。
 

2025年大阪・関西万博の実施計画案

 これは、2025年大阪・関西万博実施計画案として展示されていた。たしかに、最新の技術が駆使されていると思うが、この脳天気な科学礼賛の雰囲気には既視感があった。1970年の万博こそ、まさに、メタボリズムの建築家たちの実験場の一面があった。しかし、そのお祭り広場を貫いて立っていた岡本太郎太陽の塔だけが、今はあそこに残っている。ほんとうはあの太陽の塔はは、東京にもうひとつあってもいいはずだと思う。

 今年行われる東京オリンピックも、2025年の大阪万博も、AIで蘇った(?)美空ひばりも、どこかしら、経団連を牛耳る年寄り連中が、目の前の危機に取り組むことができず、過去に縋り付こうとしている、そういう姿に見えてしまうのだけれど。ここに新しい提案が見えるかといえば、どうなのか疑問に思えた。
 その意味では、会田誠

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NEO出島 会田誠

《NEO出島》は、わかりやすいギャグだ。国会議事堂を圧倒するように、グローバル・エリートのための出島が作られている。

 この展覧会は、「都市の新たな可能性」、「ネオ・メタボリズム建築へ」、「ライフスタイルとデザインの革新」、「身体の拡張と倫理」、「変容する社会と人間」という5つのセクションからなっている。
 デザインの部分で面白かったのは、

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セバスチャン・コックス&ニネラ・イヴァノヴァ 菌糸体+木材
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クラレンベーク&ドロス 《ヴェールの女性2(菌糸体シリーズより)》
 
 これは二つとも、菌糸体を建材として使おうとするもので、有機廃棄物に菌糸体を混ぜて成形し成長させた後乾燥させると、コルクのようになるのだそうだ。
 建築の部門でも
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デビッド・ベンジャミン《Hy-Fi》

有機キノコ煉瓦が展示されていた。軽くてコストも安いそうで、アリかなと思う。


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長谷川愛《ポップ・ローチ》

 こういうのもあった。昆虫食は、本気で取り組まないとまずいのかもしれない。ゴキブリでなくてもいいと思うが。