カルロス・ゴーンの出国について思うこと

 カルロス・ゴーンが保釈中に祖国レバノンに帰った。出国できないはずだったのに、司法の監視をものともせず出国を果たし、「私は今レバノンにいる」と声明を出した。
カルロス・ゴーンからの声明。
私はいまレバノンにいます。
もはや私は有罪が前提とされ、差別がまん延し、基本的な人権が無視されている不正な日本の司法制度の人質ではなくなります。
日本の司法制度は、国際法や条約のもとで守らなくてはいけない法的な義務を目に余るほど無視しています。
私は正義から逃げたわけではありません。
不公正と政治的迫害から逃れたのです。
いま私はようやくメディアと自由にコミュニケーションできるようになりました。
来週から始めるのを楽しみにしています。」

「有罪が前提とされ、差別がまん延し、基本的な人権が無視されている不正な日本の司法制度」の部分は、伊藤詩織さんの事件が海外でもおおきく報道されている中なので、説得力がある、というより、反論しても説得力がない。レイプ犯人を匿う人間が警察庁官房長になる国なのである。

 そうでなくても、もともと日本の「人質司法」には批判が集まっていた。カルロス・ゴーンのマネー・ロンダリングの法的な正不正は問題にならない。なぜなら、その正不正を判断する司法に不正があるという議論はそれより大きな枠だから。

 日本の刑事裁判の有罪率は99.9%と言われている。「言われている」というか笑われているのだ。日本では逮捕されれば、すなわち犯罪者なのである。
 捜査の可視化も実現されていない。冤罪事件を枚挙すればキリがない。長期勾留は、国際的に見れば拷問である。

 Wikipediaで「不平等条約」の項を見ると
「日本も封建制度の体制下で欧米の近代法にある法治国家の諸原則が存在しておらず」
「刑事面では拷問や残虐な刑罰(火あぶりなど)が存置され、民事面では自由な契約や取引関係を規制して十分な保護を与えていなかったために」
先進国から不平等条約を結ばれることになった。

 カルロス・ゴーンの声明で、法治国家としての日本は、国際社会で200年ほど後退したと思われていることがわかる。それなのに「日本は美しい」とか「日本はエライ」とかそんなこと言ってるのがいかに虚しいか、分かるはずである。

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