M-1レビューさまざま

 今年のM-1は反響がすごい。今はradikoがあるので、色んな人の色んな感想をまとめて聞くことができて面白い。個人的に、一時期、芥川賞の受賞作が載る文芸春秋で選者の選評を読むのが楽しみだったことがある。その時の感じを思い出した。
 ナイナイ岡村隆史とNON STYLE 石田明M-1直後のオールナイト・ニッポンでM-1の講評をするのはよく知られているが、radikoのタイムフリーだと、裏の「おぎやはぎのめがねびいき」も聴ける。
 おぎやはぎは今年のM-1で先鋒をつとめつつ最低得点に沈んだニューヨークについて、まるで溺れた犬を鞭打つように(実際はM-1のファイナリストになった時点ですごいんだけど)、「置きにいきやがって」とか「まさか優勝狙ってたんじゃないだろうな」とか散々にくさしてた。他の話題に移った後も「それにつけてもニューヨークの野郎は」とか。
 それをニューヨーク本人たちが聞いてたらしく、「裏の岡村さんと石田さんは褒めてくれてます」とメールが来た。おぎやはぎは「褒めてた?、そりゃ優しさだよ!」と。
 すると、今度はそのやりとりが、岡村隆史石田明のほうにリスナーから届いて、「いやまあ、松本さんに叱られた時の返しがよかったということで」と。ニューヨークは、最後には、おぎやはぎのスタジオに乱入していた。
 ニューヨークは、ネタそのものはうまくいかなかったんだろうけど、その周辺の振る舞いでエンターテイメントに徹してた。昨年の後味の悪さに比べて、そういうとこをみても今年のM-1のレベルの高さが分かる。

 霜降り明星オールナイトニッポン0では、前回のチャンピオンとして、やはり、演者側に立っているのがよく分かるのは、演者が登場する時に会場に流れる紹介コメント(「あおり」と粗品は言ってた)が、演者によってはネタとバッティングしてるところがあってフェアじゃないと感じたそうだ。例えば、「ボケ担当」「ツッコミ担当」とか先に紹介してしまうと、それだけでも「ネタばらし」になってしまうというあたり、さすがだと思った。

 「上沼恵美子のこころ晴天」(月曜日)は、関東の人は知らないと思うが、上沼恵美子の話術を堪能できる長寿番組。M-1の翌日の番組で「漫才の波が変わった」「まったく食べたことのない料理が出てきたかんじ」とミルクボーイを絶賛していた。それでも、かまいたちとミルクボーイのどちらに軍配を上げるかは迷いに迷ったそうだ。
 久しぶりに聴いたら、この番組で上沼恵美子の相方を務めるのは、キングコングの梶原(a.k.aカジサック)なんですね。少し前に、佐久間宣行のオールナイトニッポン0に、キングコングの2人が揃って出て、佐久間宣行の声を涸らさせたりしていたが、上沼恵美子とのやりとりを聴いていて、この人やっぱり漫才師だわと、改めて感心した。週刊プレイボーイオール巨人の連載でも、腕のある漫才師に名前が挙がっていたのを思い出した。
 誰かが2019.12.23のこころ晴天をYouTubeに違法アップロードしていたので、関西以外の方でradikoのエリアフリーにするまでの気はない人は、一応そこで聴ける。

 オードリーのオールナイトニッポンでは、ふたりともぺこぱを絶賛していた。オードリーは、今何と言っても、漫才という芸のスウィートスポットに立っていると思う。そのふたりがそろってぺこぱ絶賛。特に、若林正恭は、10組目最後に出てきたぺこぱを「漫才の歴史そのものがフリになってる」とまでいっていた。
 若林正恭自身が出演しているTV番組「激レアさんを連れてきた」「しくじり先生」「セブンルール」などでツッコミが難しいと思う場面がよくあるそうなのだ。「多様性とツッコミは相性が悪い」から。
 というのは、ツッコミというのは、ボケが社会通念とズレたことを言う、そのずらし方がボケのワザなんだが、そのままでは笑いにならなくて、それを観客の立っている社会通念の場に、言葉で引き戻す、ツッコミのその速さとキレが笑いを生む。
 ところが、今の社会は、社会通念が揺らいでいる。「これがフツー」という考えが否定されている。例えば「ちび」「デブ」「ブス」「ハゲ」なんてツッコミは今は笑いにつながらないだけでなく客がひくはずなのである。
 そもそもボケでもなんでもなく、たしかに少数派ではあるけれど、それはそれでいいという状況を笑いにしようとするツッコミはすごく難しい。そういう状況を笑いに変える人が出てきたのに腰抜けるほど驚いたそうだ。
若林「これからはアゴひいてこじんまりと行く」
春日「もらっても倒れなきゃ負けないんだから」
って言い合っていた。

 伊集院光は「深夜の馬鹿力」で、エントリー数5040組っていうのに驚いていた。ということは、漫才師が1万人超えてるってことで、日本の人口の1%以上が漫才師だということになる。ここに芸人のコミュニティが出来上がってるのがすごいと思う。
 日本の近代漫才は、たぶんエンタツアチャコから始まった、1930年のそのころから、ほんとに嘘偽りなく実力だけで評価されるコミュニティが他にあるだろうか?。嘘偽りないリスペクトがあり、ほんものの伝統が育まれる、そういう世界に若い人たちが憧れるのは当然だと思う。