霜降り明星のせいやにみる第七世代のクレバーさ

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北野武

 小林信彦(このひとは江戸っ子のせいか、見ず知らずのひとに「さん付け」で呼ばれるのはいやだそうだ)が、今週の週刊文春の「本音を申せば」に、上沼恵美子を絶賛していた。
 例の、とろサーモン久保田とスーパーマラドーナ武智の事件に絡んだ話だけれども、もう一年半前の話題なので鮮度としては古い。ところが、小林信彦が書くと、うむうむと読んでしまう。
 『日本の喜劇人』、『世界の喜劇人』を聖典化しているところがあるので、その著者、小林信彦のまわりで流れている時間のほうがまっとうな時間のように思ってしまう。
 しかし、小林信彦の『日本の喜劇人』がカバーしてるのは、たけし、タモリまでで、そのあとのダウンタウンはまったく評価してない。小林信彦の文脈でテレビの笑いを見ているつもりだった私にはこれは全く意外だった。ザ・MANZAIの笑いよりダウンタウンの方がダンゼン好みだと思っていたのだが。
 霜降り明星せいやが文春ともめることになっている。訴訟にまでなっているとか。私は、週刊文春を購読しているけれど、連載いがいのところはほぼ読まないので、その記事には気が付かなかった。
 なんか、せいやがある女性とリモート飲みをしていた、その一部始終を、その女の子が週刊文春に売ったのか、今週の、霜降り明星オールナイトニッポンZEROでせいや自身が語っていることによると、「せいやさんですよね」と言って文春の記者が手に掲げたスマホには、自分の勃起したちんちんが写っていたそうで、せいやとしては「それ、ボクのです」というししかなかったそうだ。
 フェミニストが何を言うか知らないが、これに関して問題があるのはさすがにこの女性の方じゃないのか?。この男女の立場が逆だったらどうだったんだろう。霜降り明星せいやだから、笑いに変えていたけれども、それでも、発覚直後の放送だった先週はちょっと異常だった。
 その放送を聞いた爆笑問題太田光は「どうしていいかわからなくてずっとボケ倒していた」と笑っていた。あれはもともとあのラジオでせいやがやっていた「ポケひみ」のコーナーなんだが、あれはせいやが別のキャラクターを演ずる、というか、憑依するコーナーで、たしかに、あれで二時間押し通すのは無理があったように私にもおもえたのだが、佐久間宜行の意見はちょっと違っていて、「あれだと、毎週聞いているリスナー以外には何のことか分からないので」その日だけ聞きに来たネットニュースのライターなんかは何にも書けないっていう狙いがあったろうという見方をしていた。なるほど、演者目線ではなく、プロデューサー目線だと、そうなるのかと感心した。
 とにかく、あれで一週間の冷却期間を稼げたわけで、意図したかどうかはともかく、霜降り明星たちのいわゆる第七世代のクレバーさを印象付けた(まあ、ほんとにクレバーならネット空間でちんこを出さないだろうが)。
 ともかく、ネットニュースを唯一の源泉とする浅薄な正義の暴走に関しては、岡村隆史、木村花の事件を経て、はやくも集団免疫を獲得したかの感がある。当事者にはお気の毒というしかない。