この映画も、じつは、緊急事態明けすぐに観た。
フィンランドの映画で、そろそろ引退を考えている老画商が、最後に大きな商いに打って出るっていう、フィンランドっていうデザイン大国でありつつ、なんか、井伏鱒二晩年の『珍品堂主人』とか、骨董を扱った小説みたいなたたずまいも予感させて、足を向けたってところがある。
主人公の骨董屋さんが、ある競売の内覧会みたいのに出かける。そこで、一枚の絵に魅了される。無銘の、だれが描いたか分からない絵なんだけど、主人公は、これは、イリヤ・レーピンの絵に違いないと直感する。このあたり、青山二郎が尾形光琳唯一の肖像画を発見するくだりを思い出させます。
イリヤ・レーピンっていう選択が渋い。これが、ゴッホじゃ全然ダメだし、ゴーギャンでも、ピカソでも、マティスでもダメ。そんな有名どころを見逃す画商はいない。かといって、フェルメールでは非現実的だし、フィンランドって地理的条件を考えると、イリヤ・レーピンはありそうなんですよね。
で、孫の男の子の活躍で、件の無銘の絵がレーピンの真作だってわかって、競り落とすあたりまではすごくスリリングでテンポもいい。
なのに、どうしてハッピーエンドにしなかったのかがちょっと個人的には割り切れない。中井貴一と佐々木蔵之介の「嘘八百」みたいに、痛快コメディーにしようと思えばできたはずなのになと、残念に思うのです。
なんかむりやり悲しい結末にしたような感じがあり、娘さんとの確執も、あまりにありきたりで、せっかくレーピンを選んだセンスのよい前半とはまるで別人のシナリオみたいになってたように思います。
聖画だからサインがないって謎解きは、絵を見慣れてる人ならあっさり分かったと思います。でも、競り落とした後から、あんながっかりな結末にしなくても、それからも何ターンもいったりきたりのどんでん返しができたはずなのになと思いました。
たとえば、≪ディアナとニンフたち≫という絵に「ニコラス・マース」というサインがあったのを、これはどうも偽造だぞということがわかり、そのサインをけずりとってみたら、その下からフェルメールのサインが出てきたってこともあったそうです。
いまでこそ泣く子も黙るフェルメールですけれども、ひと昔前までは、さほど知られた存在ではなかったので、こんな仰天エピソードが実際にあるんです。
そういえば、自粛期間中に「美術館を手玉にとった男」って映画も配信で観ましたね。
名画の贋作を作っては、美術館に寄付してる人の話で、ほとんどの美術館が全然気が付かない。なぜなら「寄付」だから。購入なら徹底的に吟味すると思うんですが。
どんな作り方をしてるんだろうと思ってたら、写真の上に油で汚しを入れてるくらいのことなのに、あっさりひっかかってるみたい。
かと思えば、台所にかかっていた絵が13世紀のイタリア画家チマブーエの絵だったことがわかったり(七億円)、屋根裏からカラヴァッジョの≪ユディトとホロフェルネス≫が出てくることも世界ではあるみたいです(180億円)。
エピソードはいくらでも広がりそうなのに、今回のこの老画商と少年の名コンビは悲しい結末で終わってしまうのは惜しい気がしました。