複製技術と美術家たち

knockeye2016-06-01

 わたくしあいもかわらず、休みの日になると、美術展に出かける日々なのだけれど、この5月からは仕事がやたらと忙しく、それについて、ここに書くヒマも体力も残ってない状況が続いている。
 それでも、とにかく、こないだのルノワールの絶筆だけは、あれを目にしたおかげでルノワールの絵が見えるようになってよかったと思っている。あの後、本棚にあったルノワールの図録を引っ張り出して見たら、1989年の奈良県立美術館のものだった。四半世紀かかってようやくルノワールが見えるというのもいかがなものかとは思うが、ルノワール印象派的な絵画からどうやって脱していったか、そのテーマがルノワールを再び裸婦に向かわせた。ヴォリュームにこだわって、印象派を脱していこうとした、その総仕上げとして、あの《浴女たち》は見事としか言いようがない。
 あの時、ピカソの《アヴィニョンの娘たち》を貼ったが、あの絵はがきは、横浜美術館で購入した。いま、「複製技術と美術家たち」という、ユニークな展覧会をやっている。富士ゼロックス版画コレクションとの合同企画だそうだ。ふだんなら、展覧会のメインにはならないような絵がたくさん並んでいる。
 横浜美術館は、たぶん、国立や都立の美術館に比べるば、資金が潤沢とはいえないはずだか、毎回キュレーションがよくて楽しい。
 ただ、今回の図録にあった、ヴァルター・ベンヤミンてふ人の「複製技術が絵画の“アウラ”を凋落させる」という予言だか、予想だかは、まあ、ハズレだったと言えそうに思う。何年か前に、福岡伸一が、フェルメールの精巧な複製画で展覧会をしたことがあったが、だからと言って、オリジナルの“アウラ”が凋落したとも思えない。私としては、そこのところは疑わしく思っておきたい。
 というのは、そういった“アウラ”は、名画が人にもたらすのではなく、むしろ、人が名画にもたらすものだからである。言い換えれば、名画にかぎらず、名物、名所、名優、ありとあらゆるものに、人は、ヴァルター・ベンヤミンのいう“アウラ”を見たがるのであって、その欲望が勝手に対象を見つけ出すに過ぎない。だから、複製技術が進めば進むほど、かえって“アウラ”は、輝きを増す。どれが本物かわからないほど精巧な複製画が氾濫すれば、本物の価値は、更にありがたくなる、というのが現状みたい。
 論の大前提があやしいので、ベンヤミンてふ人の説は、訴える力に乏しくなってしまう感じ。現に、私あたりの素人の耳にはあんまり馴染みのない名前だし。
 ただ、写真という複製技術が絵画を自由にしたことは間違いないと思う。写真が目の見たままを紙に定着できるようになって初めて、人はむしろ、絵の魅力が、それではないことに気づいた。絵の魅力が、似姿の再現にないとなれば、幸か不幸か、絵の可能性は無限大になってしまう。そういう意味でいえば、凋落したのは、名画の“アウラ”ではなく、アカデミズムの“アウラ”だっただろう。
 印象派の成功以来、絵画のアカデミズムくらい小馬鹿にされるものもないだろう。先日、ニューズウィークに、小崎哲哉の「絶滅危惧種としての批評家」というコラムが載っていた。面白かったので、紹介しようと思っていたが、これも忙しくてそのままになっていた。
 「この50年間で、今日ほどアート批評家が書いたものがマーケットに影響を及ぼさなくなった時代はない。あの作品は悪いと書くことはできても、それはほとんどあるいはまったく影響しない。良いと書くこともできるが、結果は同じだろう。まったく書かなくても同様ではないか」(モダン・ペインターズ 2006年9月号。「Silence of the Dealer」)
 と、米国の代表的なアート評論家=ジャーナリストのひとりであるジェリー・サルツ(寡聞にして存じ上げない)が、書いているそうである。そりゃ、そうだろうと思う。印象派以来、ピカソも、マティスも、エルンストも、ウォーホルも、画家であると同時に批評家だった。
 批評家の資質がなければ、自分の作品を評価してくれる批評家との巡り合いを待つより、黙って売ってくれる画商を探す方が手っ取り早い。売れるから良いとはいえないし、良いから売れるとは限らないが、批評家はマーケットより信用できないことを、この100年の美術史が証明してしまっている。
「絶滅危惧種としての批評家」