アーティゾン美術館の続き

 アーティゾン美術館について書きながら寝落ちしたのでその続きを。

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鈴木其一のサイン

 こないだの続きってことで、鈴木其一の《富士筑波山屏風》にあるサインは、「噲々其一(カイカイキイツ)」。師匠の酒井抱一の四十九日を過ごしたあと家禄を返上し一代画師となった。脂の乗り切ってるころ。

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《富士筑波山屏風》鈴木其一

 筑波山の青と松の緑が素晴らしい。ちなみに村上隆の「カイカイキキ」はたぶんこの鈴木其一から取ってるんだろう。

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《日光浴(浴後)》メアリー・カサット(1901)

 2016年に横浜美術館で大規模な回顧展があったメアリー・カサットの絵が2点あった。
 メアリー・カサットはアメリカの裕福な家のお嬢さんだったが画家を志しパリに来た。親からは「じゃ、自立しろ」と言われたそうだ。
 メアリー・カサットは喜多川歌麿を何点か所有していた。横浜美術館の展覧会では多色刷りの木版画のシリーズが展示されていた。それを見ると歌麿への傾倒がはっきりと看てとれる。この母子像も何でもない日常を描くこと自体が浮世絵の影響だっただろう。この絵を見ても聖母子なんて全然連想しない。そういう画題の解放がこの時代に起きた。そこに歌麿北斎の影響は確かにあったのだろう。

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《右足で立ち、右手を地面に伸ばしたアラベスクエドガー・ドガ

 ドガは晩年ほとんど視力を失った。失意のうちに引きこもって最期を迎えたと思われていたが、死後のアトリエからこのような無数の塑像作品が発見された。ロウをこねて作ったもので、後に鋳造された。現在見られるドガの立体作品はほぼすべてその時発見されたものであるはずだ。
 ただ、ドガは生前ただ一度だけ彫刻作品を発表したことがあった。第6回印象派展に出展した《14歳の小さな踊り子》。この時の経験が視力を失ったあとに役立ったと言えるだろう。
 ドガはなかなか偏屈な人だったらしいが、先程のメアリー・カサットと生涯を通じた交流があった。
 メアリー・カサットが生前の手紙をすべて焼却して亡くなったので、どういう関係だったか詳らかにしないそうだが、ドガにこういう人がいたことは何かホッとする。

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《踊りの稽古場にて》エドガー・ドガ
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レダと白鳥》エミール=アントワーヌ・ブールデ
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《傷つけられた精を運ぶケンタウロス》エミール=アントワーヌ・ブールデ

 彫刻家として有名なブールデルの水彩画が2点。
 箱根彫刻の森美術館にあるブールデルの《自由》《勝利》《力》《雄弁》は素晴らしい。とくに桜の頃に訪ねるとよいのだ。

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エミール=アントワーヌ・ブールデル《雄弁》

 レダと白鳥は、ゼウスが白鳥に化身してレダを誘惑したというギリシア神話がモチーフになっている。葛飾北斎の《蛸と海女》と同じ発想なんだが、なぜ動物と女性の性交がセクシーに感じるのか不思議。人間的な抑制がなくなるせいなのか、蛸とか羽毛とかの肌触りが性愛を連想させるのか、ともかくこの2作品もさらりと描きあげたらしい水彩画ながら、重なり合う肉の重みを感じさせる。

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ピエール=オーギュスト・ルノワール《すわる水浴の女》

 1914年、ルノワール晩年の裸婦。ルノワールはイタリアを旅行した後、大きく画風を変えた。マルセル・プルーストが「女たちは、以前の彼女たちと違った女になって通りを過ぎてゆく。なぜならそれはルノワールの女たちだからだ。」と呼んだ華やかな女たちではなく、この絵のような、明らかに現実にはありえないフォルムの裸婦を描き始める。
 パトロンやコレクターは戸惑ったようだ。ルノワールのコレクターとして知られるスターリング・クラークはルノワールを色彩家として彼に匹敵するものはないと評価していたが、ルノワール晩年の裸婦を「ソーセージのような色」「空気で膨らんだ手足」などと評して、一切買っていなかった。
 私も長い間ルノワール晩年の裸婦が理解できずにいたが、絶筆の《浴女たち》を観て、とつぜんこの美しさがわかった。今まで何を観てきたのだろうと思った。これこそルノワールだった。ずっと印象派と格闘しながらこの肉の重みと手ざわりを手に入れたのだった。晩年のルノワールのアトリエに足繁く通っていたアンリ・マティスは、絶筆となった《浴女たち》を描くルノワールを目撃している。リューマチで動かない手に筆を括り付けて描いていた。マティスは《浴女たち》を後に「過去に描かれたどの作品よりも美しい彼の最高傑作」と評した。