『記憶の技法』

 池田千尋監督の『記憶の技法』の前半はちょっと危なっかしい。後半に加速するが、前半は大丈夫かなと思った。
 男女高校生ふたりのバディー・ムービーってところなんだが、そのバディーの成立過程にかなり苦労したみたい。自分の過去の記憶を突き止めようとする少女が、誰であれ誰かに同行を頼むってのはないと思う。その過去の秘密が重大であればあるほど、ひとりで突き止めようとするはずで、誰かに頼ろうとするシナリオにはたいていの観客は乗り切れないと思う。
 吉野朔実の原作では、お節介な男子が好奇心で付いてきてしまう。この方がシンプルでわかりやすい。映画の方は、少々くどいと感じた。漫画の方では、あくまでサブのプロットにすぎない男子高校生の側の筋を、女子高生の側のメインプロットと同じくらいの比重で描こうとしたためなのかな。
 やっぱりそこはマンガと映画の違いで、マンガだと、金髪で青い目の男子高校生というファンタジーにさほど違和感がない。しかし、それは少女マンガの伝統的表現だから受け入れられるもので、実写では、少年の側のファンタジーがしっくり来なかったんだと思う。実写ではあっさり捨てるべき設定ではなかったかと思う。たとえば、この男子を北朝鮮籍に設定すると、韓国に行けない理由がスッキリする。
 何はともあれ、ふたりのバディーが成立した後半は、原作よりむしろ展開のテンポがよくなってくる。過去の記憶がだんだん解明されていく過程はリズムがあって加速がついていく。その部分はすごくよかった。後半部分は、むしろ原作の方が舌足らずに感じるほど。
 でも、ラストでふたたび原作を踏襲する。このラストに導こうとして、前半の無理が生じたかのようにも思えた。
 というのも、原作のラストはそれ自体が、やや説得力不足な感はある。取ってつけたようなラストと言えなくもない。ただ、原作の漫画の方は、語り口のテンポが安定していて、全体にあっさりしているので、ラストの不自然さがそんなに気にならないんだろうと思う。この男子の側のサブプロットの処理に、映画は苦労したんだろうなと思われる。
 もうひとつ原作に引きずられたなと感じたのは、主人公の父親の白髪で、少女マンガのパパの典型的表現として、原作のパパは白髪でヒゲを蓄えているんだろう。17歳の娘の父親にしては老けすぎている。特に、戸田菜穂が母親なら尚更で、この夫婦の見た目のギャップは何かの伏線なのかなと思ったくらい気になった。
 もちろん、ソファに寝ている重要なシーンの対比があるので、その視覚的効果として、原作では白髪とヒゲだと思うのだが、映画ではそこはいかようにもなるので、あの父親はもう少し若くないと、戸田菜穂の旦那らしく見えなかった。
 ここまでのところでなんかディスってるみたいに思われると困る。出だしのところで少しもたつくのが気になるのは、後半の演出がすごく良いからで、そのギャップで前半部分が惜しいなぁと思い返してしまうってこと。
 特に、柄本時生の金魚屋さんと戸田菜穂のお母さんは、原作よりずっと解釈が深くなっている。『きみの鳥は歌える』で、出会いのシーンはほぼ一字一句佐藤泰志の原作そのままだったのに、ラストシーンを大胆に転換した三宅唱監督の演出を思い出しました。
 それと、全体に良いのは、この男女の主人公が恋愛関係にならないところ。前半がもたつくって書いたけれど、そのもたつきの一部は、「まさか今更“壁ドン”みせられるんじゃないだろうな?」っていうザワザワ感でもあったが、杞憂に終わって胸を撫で下ろした。
 思い返してみれば、10代後半のこの頃は、男女の友情が成立するギリギリ最後の年頃なのかもしれなかった。映画って大人が作るので、どうしても10代の男女に恋愛をさせてしまうのだけれど、この時期の子どもたちには、男女の間であっても、恋より友情の方が必要だって時があるよなってそんな気分にさせられた。
 思い返してみれば『滑走路』もそんな読み方ができる映画だったかもしれないですね。

吉野朔実の漫画を石井杏奈主演で映画化『記憶の技法』予告編

記憶の技法 (flowers コミックス)

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きみの鳥はうたえる

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  • 発売日: 2019/05/10
  • メディア: Prime Video