『ある男』ややネタバレ。

 個人的な石川慶監督経験は最悪。『蜜蜂と遠雷』『アーク』と2作品観ているけれど、『蜜蜂と遠雷』は先に恩田陸の原作を読んでいたので、原作との落差がひどすぎた。これはまあ原作ファンあるあるだろうから仕方ないとはいえ、映画化不可能と言われている大ベストセラーを映画化して、中抜き底上げのスカスカな作品にしてしまい(原作ファンからすると)、その上それが評価されるっていう、なかなかイライラする展開だった。
 『アーク』は前半よかったけど後半は凡庸。嫌いじゃないけど消化不良が残った。『蜜蜂と遠雷』はビジュアル化に失敗している。『アーク』はビジュアルは魅力的だが話がつまんない。両方とも原作の映画化でオリジナル脚本じゃないし、監督が自分でチョイスしているのか、それとも映画会社から無茶ぶりされてるのか分からないが、とにかく、石川慶監督だから見てみたいというような作家性は感じていなかった。
 今回の『ある男』も予告編を見る限りでは、3年間夫婦だった旦那が、亡くなってみるとまったくの別人だったって話らしく、『嘘を愛する女』とほぼ同じに見えて、よくある話かなと思い、まあみなくていいかと思っていたのであるが、YouTubeでのレビューを見ると、どうも話は安藤さくらの演じる嫁さんではなく、予告編ではちらっと出るだけの妻夫木聡の演じる弁護士の話らしいとわかり、思ったより奥行きがありそうで、ちょっと見てみる気になった。
 出会いでつまずいてしまった監督の映画なので、観る前に長々と言い訳が必要になってしまったが、結論から言うと、今まで見た石川慶作品ではこの『ある男』が一番よかった。
 妻夫木聡真木よう子夫婦と安藤さくら窪田正孝夫婦のコントラストが良い。映画の時間を通して何が描かれるかと言えば、窪田正孝妻夫木聡の対比であり対話なのである。窪田正孝(ある男)の方は死んでいるので、つまりこの映画は妻夫木聡の内面で起こる心理劇だといえる。本来、妻夫木聡の目が及んでいないはずの安藤さくら母子の描写ですら、妻夫木聡の内面で起こっていると感じられるほど。
 平野啓一郎の原作を読んでいないので、その読者が何というか分からない。『蜜蜂と遠雷』の時は、ゲーテの『ファウスト』とマーロウの『フォウストゥス博士』ほど違うと感じたものだった。削りすぎて訳が分からなくなり、余計なものを足していた(どうも『蜜蜂と遠雷』ショックが後を引くな)。だから、原作ファンからすると、もしかしたらディテールで落ちているところがあるかもしれない。
 そもそも長編小説と長編映画では、時間の長さが違う。例えば『サイダーハウスルール』なんかでは、原作のジョン・アーヴィングがシナリオを書いているからこそ成功しているが、長編小説のプロットだけ追っちゃうとスカスカになりがちなのは仕方ない。この映画でも清野菜名と仲野太賀カップルのパートは消化不良と言える。
 清野菜名と仲野太賀のカップルだけ過去に対するスタンスがぶれている。過去を売った側が都合良くその過去を取り戻せるかどうかはよくわからない。
 売った側と書いたが、そもそも柄本明の演ずる戸籍ブローカーの実態がよくわからない。売ったと書いたのは、売った側であれば過去に戻る可能性もあるかと思ったまでで、実際は売ったかどうかも分からない。
 しかし、その辺のサブプロットを簡略化して、妻夫木聡窪田正孝の2人に焦点を絞ったのが今回は良かったと思う。『アーク』の時は(と、また掘り返すが)、寺島しのぶのパートはどうなっちゃったの?って感じだった。つまり、寺島しのぶ岡田将生のパートの価値観の対立を主人公がすんなり受け入れ過ぎていて、せっかくの価値観の対立がドラマにならない。そのせいでスカスカな感じがする。
 『ある男』では、仲野太賀のパートをあっさり通り過ぎることで、妻夫木聡窪田正孝の対比に集中できたと思う。ということは、このパートが必要だったかということになる。「仲野太賀の無駄遣い」とYouTubeでは言っていた。何なら後ろ姿だけでも成立した気がする。後ろ姿に清野菜名が近づく、声をかける前に、一瞬、妻夫木聡の方を振り返る、すでに立ち去っている、で問題なかったような。
 小籔千豊柄本明の存在がいい味付けになってる。「人権派弁護士先生の・・・」みたいな説明台詞の臭みが消えるのも小籔千豊のおかげだと思う。
 それをいうと、妻夫木聡安藤さくら窪田正孝モロ師岡って人たちの存在感が、言わずもがなのことを言わせない説得力になっている。
 特に、妻夫木聡は、失礼ながら、今までこんな感じの抑えたお芝居をする人だと思ってなかったのですごく新鮮だった。


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