『ラストレター』の原作小説

ラストレター (文春文庫)

ラストレター (文春文庫)

 映画の『ラストレター』が素晴らしかったので、原作となった岩井俊二の小説の方も読んでみた。というのは、映画で主人公の乙坂鏡史郎を演じた福山雅治がラジオで岩井俊二と対談しているのを聴いたら、映画に出てくる乙坂の書いた小説『未咲』という本は、単なる小道具ではなく、実際に岩井俊二が書いた小説が活字化されていて、福山雅治はそれを読んで撮影にのぞんだと聞いて、小説の『ラストレター』に興味が湧いてしまった。
 それぞれの成立を時間軸にそってならべると、まず『未咲』という小説が成り、その次に小説の『ラストレター』、そして、映画という順だそうだ。
 これもやはりメタノベルと言えるのだろうか?。映画でも小説『ラストレター』でも『未咲』の内容は読者に示されない。主人公の乙坂鏡史郎が未咲についての『未咲』という小説を書いたという事実だけが、観客、あるいは読者にわかるだけ。だから、やはりこれはふつうメタノベルとは言わない。題名だけなんだもん。重要な、というより核となるアイテムであるには違いないが。
 観客には内容が知らされないのに、その小説が実際に存在しているっていうあたりが、岩井俊二作品の狂気なんじゃないか。存在しているだけじゃなく、そちらが先だという。となると、『ラストレター』という作品は、実は『未咲』という現に存在する本をめぐる物語だといっていい。そして、映画を見た人は知っているとおり、『未咲』という小説は、また、未咲への手紙でもあった。
 映画を紹介した記事に、「郵便的」などという生半可な言葉を使ったが、物語全体が「誤配」の物語、これは日常的な意味での「誤配」の物語であることは同意してもらえるだろう。
 岩井俊二は『リップヴァンウィンクルの花嫁』でも、架空のSNSを小道具に使っていた。手紙は、スマホの時代に、たしかに古風であるに違いないのだが、郵便が通信手段の主流であった時代には、誤配はあまり起こらなかった。しかし、今、たとえば、SNSの一例としてTwitterをあげれば、ツイートは誤配というか、そもそも誰に向けて発信しているのかさえはっきりしないという意味では、初めから誤配を見込んでいるとも言える。『メッセージ・イン・ア・ボトル』という映画があったが、今わたしがこうして書いているこのブログにしたところで、瓶に詰めて海に流す手紙に似ている。
 わたし自身の心持ちとしては、このブログは、自分自身のための覚書ではない。しかし、特定の誰かに向けて書いているわけでもない。でも、ただ書くだけで非公開では書けない。書いて瓶に詰めて流すのが大事なのだ。その意味では、映画で松たか子が演じた遠野裕里が、スマホを壊された後、独白のような手紙を書き続ける気持ちはわかる気もする。
 『未咲』という小説は未公開なのでわからないが、小説『ラストレター』から、映画『ラストレター』へと推敲されたさまざまな変更をみると、精度はぐんと上がっていると見える。
 まず、小説は、乙坂鏡史郎の一人称で書かれているので、シーンの鮮度が落ちる。読者は、乙坂という人称を通してしか、シーンに触れられない。これはでも、先に映画を観ているからこそもどかしく思うのだろう。やはり、岩井俊二作品は、映画の方が圧倒的に語り口が多彩。
 たとえば、阿藤が登場するシーン。映画について書いた時にも触れたが、色彩と照明で、小説よりはるかに多くの情報が処理されている。しかも、それが豊川悦司なんだし。心にくいというしかない。
 『蜜蜂と遠雷』を思い出して比較してみてもよい。あの映画は、恩田陸が文章で作り上げた架空のピアノコンテストを映像表現に変換する戦略に失敗している。
 しかし、『ラストレター』は、始めから映画をゴールに設定して磨き上げられていったようにうかがえる。たとえば映画では裕里の子どもである瑛斗は、小説では未咲の子になっている。義母の昭子さんの怪我の経緯も違う。魅力的だが、小説のままだと映画では冗長になるのだと思う。
 同窓会で裕里が未咲と間違えられるいきさつは小説の方がわかりやすい。乙坂の仕事も、学校でのクラブも少しずつ違う。
 岩井俊二が故郷の仙台を映画に描いたのはこれが初めてなのだそうだ。映画の『ラストレター』を観た時、今年の映画の中で、ダントツに優れていると思った。そう思ったのは、心が動かされるためだ。個人的には『パラサイト』には何かモヤモヤする。宮藤官九郎をはじめ、そうそうたる映画の見巧者が絶賛しているので、そちらの方が正しいのは間違いない。きっと玄人好みで、作り手側にいる人の頭には訴えてくるものが大きいのだと思う。
 しかし、わたしにはあの登場人物が将棋のコマみたいに思える、特に前半。ソン・ガンホでなければもっとそうだったかもしれない。これに対して、『ラストレター』の登場人物はたたずまいがみんなどこかいとおしい。
 福山雅治もラジオで言っていたが、『ラストレター』は、あらすじを語っても魅力が伝わらない。しかし、登場人物が、現に生きている感じがして『パラサイト』よりずっと心が動かされた。