フランスのマクロン大統領が「われわれには侮辱権がある」と

 下の↓記事が神奈川新聞に載ってた。もちろん、日本語で。だけど、どういうわけかネットにはこれしか見つからなかった。

 ちょっと話題になっていたのかもしれない。フランスのレズの女の子が、イスラム教を揶揄する投稿をしたら、イスラム教徒から脅迫状が来るようになって、結局、学校にいられなくなる羽目になったそうで、この事件が、"laicite"(ライシテ)というフランスの政教分離の原則をめぐる論争に再び火をつけているそうだ。

 何年か前、シャルリ・エブド襲撃事件が起きた時、ひどいなとは思ったが、「私はシャルリ・エブド」とは思わなかった。

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シャルリ・エブドの風刺画

 私の趣味ではない。日本人のマンガ文化とも明らかに違うとおもった。
 しかし、去年の愛知トリエンナーレ

 

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河村たかし

こういうの見せつけられると、表現の自由に制限を設けるのはまずいんだなと思わざるえない。
 一国の大統領が
"The law is clear: we have the right to blasphemy, to criticise, to caricature religions,"
「私たちには侮辱の権利がある」と言える国はうらやましいと思う。
 日本でも過去に、サルマン・ラシュディの『悪魔の詩』を翻訳した五十嵐一という人が何者かに殺害されたことがあった。イスラム教がこういうことを行う危険な宗教であると言うことさえ、表現の自由がなければ言えない。そして、そういう自由な発言が許されなければ、イスラム教の原理とフランスの原理が衝突している、こういう事態を解決に導いていくこともできない。
 侮辱権というと言葉は強いけれど、表現の自由に、為政者の側はなにかと制限を設けようと企むはずだから、すべての制限を許さないという宣言として、侮辱権という言葉は有効なんだろう。
 2015年の鹿島茂の解説があった。↓
toyokeizai.net
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