『Love Letter』繊細な狂気

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Love Letter

 半信半疑ながら、とりあえずたれこめてくらしている。それでまあ、アマゾンプライムビデオで映画をあさっている。
 岩井俊二の『LoveLetter』。今年観た映画の中で、岩井俊二の『ラストレター』は抜群によかった。といっても、わたしのばあい、観た映画の半分くらいは「抜群にいい」と思うのかもしれないが、いや、しかし、岩井俊二の世界は、そのころちょうど、ポン・ジュノ監督の『パラサイト』がアカデミー賞を席巻して、韓国映画のハリウッドレベルに達する水準の高さということを思い知らされたころでもあったために、岩井俊二の映画の、ハリウッドとは全く違う美学の到達点の高さに驚かされた。それで『ラストレター』の源流といえるこの25年前の映画にさかのぼってみた。
 25年前の私はあまり映画を観なかったが、そうでなくても、たぶん、『Love Letter』という照れも衒いもないタイトルのこの映画を観ることはなかったろうと思う。しかし、おどろいたのは、臆面もないのはタイトルだけで、内容はほとんど異常なほど繊細で、逆にこの繊細さが海外で通用するのかどうか反応を知りたいと思った。
 『ラストレター』はあらすじにすると1行で終わってしまうほどシンプルだった。だから、テレビやラジオでその魅力を伝えるのは難しい。『Love Letter』の方はいくぶんか入り組んでいるからあらすじの紹介はしやすいが、それでは伝わらないという点は変わらない。
 不慮の事故で旦那さんをなくしてしまった女性が、ふとしたきまぐれで旦那さんの卒業アルバムにあった中学生の頃の住所(今は存在しない住所)に手紙を出した。ところが、その手紙に返信があった。届くはずのない手紙になぜ返信があったのか。じつは、旦那の中学時代、同じクラスに同姓同名の女性がいた。旦那さんの住所とその女性の住所を取り違えて手紙を出していた。
 
 二人の女性を中山美穂一人二役で演じている。そして、だんなの中学時代を柏原崇、その同姓同名の同級生を酒井美紀が演じている。二人の中山美穂はであうことはなく、手紙がやり取りされるだけ。なので、柏原崇酒井美紀は、ひとりの中山美穂の回想の中にだけ現れる。
 では、映画のメインプロットはどこにあるのかというと、二人の中山美穂にもそれぞれのプロットがあるのだけれど、やはり、主筋といえるのは柏原崇酒井美紀のものだろう。
 これがユニークだし、見事だと思うのは、ひとりの中山美穂(ややこしいので小樽の中山美穂としておく)の回想にすぎない、その柏原崇酒井美紀のパートは、よくある映画の回想のように、若いころの熱烈な恋愛のようには描かれない。むしろ、もうひとりの中山美穂(ややこしいので神戸の中山美穂としておく)の求めに応じて、努力してとりとめなく思い出しているにすぎなくて、しかも、どちらかというと、とるにたりない、むしろ、ネガティブな思い出として語りだされる。
 ひとりの男性をめぐるふたりの中山美穂のこの熱量の落差が、柏原崇酒井美紀のエピソードを立体的にしている。
 回想シーンが重要な映画はいくらでもあると思うが、こういう立体的な構造で語られる回想シーンはめずらしいのではないか。ひとつのエピソードで2つの恋愛を描くことになるわけで、これは見事だと思った。
 これは、岩井俊二の描く恋愛が、ボーイミーツガールとか王子様幻想とか、そういうありきたりな恋愛ではないからこそ可能になることだ。ハリウッド的な恋愛、もっと突き詰めて言えば、キリスト教的な恋愛ですらない。その意味で、繊細とかなんとかいうまえに、果たして、キリスト教徒がこれを恋愛と認識するかどうかを知りたい気持ちになる。
 あえて「恋愛」という翻訳語を使わなくてもよいのかもしれない。何と名付けるかはともかく、こんな具合に心が動くことがあるよなぁっていう共感をたしかに感じさせる。こういうオリジナリティーが、技術水準云々よりもやはり圧倒的に重要で、だからよけいに、これで伝わっているのかということは気にかかった。
 もし伝わらないんだとしたら、ああそうですか、じゃあ、『バットマン』でも観といてくださいというしかないが、そんな事もないと思うんだけど。
 狂気という言葉が、作家の褒め言葉としてよく使われるけれど、岩井俊二の繊細さは、ほとんど狂気だと思う。その繊細さを追っていくスリルは、他の監督の作品では味わいない。
 もう一点、いうべきなのは、少年性かもしれない。岩井俊二の映画は、いわゆる「少年小説」と言った読者を限定するようなものではない。大人の鑑賞に耐える世界の広がりを背景に持っている。しかし、扱っているのが少年の恋愛、あるいは、少年の恋愛と地続きの何かであることはあって、そこもまた、世界で評価されにくいことなのかもしれない。
 こう書いてきて気がつくが、岩井俊二の映画は、たぶん海外では理解されないだろうという先入観が、無意識にある。日本人は自分たちを特殊と思いすぎるかもしれない。歴史をふりかえると、日本人が乗り越えるのに苦労した東西の文化の壁は、それを乗り越えるために払った多大な苦労と犠牲を考えると、誰かが、それを向こう側から乗り越えて来るとは到底思わせないものがある。私たちの側にはそれを乗り越える必要性があったからこそその努力をしたけれど、彼らにその必要はないだろうという非対称性を日本人は当たり前に受け入れてきた。
 しかし、もう今は、彼らの側からこちらに、文化の壁を乗り越えてきてもらう必要が、実は、私たちの側に生じているだろう。100〜150年も続いてきた文化的な孤独を解消することが、私たちの側にも、世界の側にも求められている時代ではないかと思う。矢部浩之の言葉を借りれば「性格を変えろ」ってことである。

 ちなみに↓こんな記事があった。
hey3hatter.net

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  • 発売日: 2014/08/27
  • メディア: Prime Video