岡村隆史の発言について、爆笑問題の太田光が「サンデージャポン」でふれた

 岡村隆史の発言について、爆笑問題太田光が「サンデージャポン」でふれたそうで、それがネットニュースになっていた。そのネットニュースの見出しが『爆笑問題太田光岡村隆史の不適切発言は「配慮も想像力も足りない…」に鈴木紗理奈が痛烈「あなたもですよ!気をつけないと』となっている。

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 しかし、内容をみると太田光の発言は「岡村はやっぱり勇気づけようとしてたんですよ。もちろん配慮も足りないし、想像力も足りないけど、岡村はある一定の人たちを何とか勇気づけようとした」とある。
 ネットニュースって、独自の取材など一切なく、ラジオやテレビの発言のコピペだけなのはいまさらともかく、こんな具合に、見出しと記事の内容がちがっているのはさすがにひどいのではないか。
 記事の内容では「配慮も足りないし、想像力も足りなけど」とあるのに、見出しでは「配慮も想像力も足りない・・・」となっている。「配慮も想像力も足りないけど・・・」ならまだわかるが、「けど」を省いてしまうのは悪意じゃなくて何なんだ。
 今回の発言について岡村隆史を叩いているひとたちのいったい何人が実際の放送を聞いているだろうか。もし、ネットニュースで読んだだけなら、そういう人たちはもう発言しないでほしい。
 くりかえしになるけれど、あれはあくまでボケなのであって、ボケを「発言」と言ってしまっていいのかどうか疑問に思う。ボケとはいっても、矢部さんが言っていたように、脚本があってそれを読んでいるコントではなく、岡村隆史の頭の中から出てきたボケだから、彼に全責任があるのだけれど、しかし、ボケはボケなので、ボケとしての責任があるだけで、それを岡村隆史の意見とか提言として責任をとらなければならないとはとても思えない。
 そこを百歩譲ったとしても、いずれにせよ、最初から冗談であることが前提な言葉であるには違いないのだ。それをネットで署名まで集めるような社会でほんとにいいのかと思う。
 以下に、要友紀子 という「セックスワーカーの健康と安全のために活動するグループSWASH」を代表する人が、今回の岡村叩きのもとになった記事が、民衆扇動の手法としていかに問題であるか詳しく書いているので一読していただくとよいと思う。

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 しかし、今回のことで、私がいちばんに心配したいのは、太田光も言っている岡村隆史の心の問題だ。もともと、ストイックでまじめと言われている彼の本質は、矢部浩之が見抜いているように、外面を、他人の評価を内面化してしまう、自己肯定感のなさなのである。
 今回の発言にしても、自己肯定感の強い人からは出ない言葉だろう。ボケが自虐的なのだ。自己評価の低さとプライドの高さは表裏一体だし、孤独感と頑なさもそうだろう。人間関係を避けるから孤独なのではなく、孤独だから人間関係を避けている。恋愛のトラウマに苛まれながら、恋愛の代替品で折り合いをつけている。
 相方と言っても、若いころならともかく、矢部さんは、岡村さんのプライベートまで知っているわけではないそうだ。だから、恋愛に向き合えとあえて言ったのは、たしかに、ぎりぎりの愛情だと思うが、ただのリスナーの耳には残酷に聞こえた。「もう『可哀そうちゃん』じゃないやん」と言っていた、
 たしかにそうかもしれない。成功した芸能人だし。しかし、自己憐憫と自信は、この人の場合、表裏一体であるように思う。トラウマをバネにして頑張ってきたように見える。もし今仮に、長年の女性不信をなかったことにして恋愛に向き合ったとしても、こればかりは縁がなければどうしようもない。そういうとき、大人のたしなみとして、風俗に行くのは別に悪いことではないと思う。
 それを「風俗=穢れ」みたいな思い込みで、単細胞な搾取の構図にはめ込んで対立を煽っているみたいな人間。が見ているネットニュースの見出し。みたいな世の中っていったい何なんだろうと思う。結局、叩きやすいところを叩いているだけのいじめ社会じゃないのか。それで世の中がよくなるとでも?。