『ラストレター』ネタばれ閲覧注意

 岩井俊二監督の『ラストレター』は、今年これまでに観た映画の中では抜群にいい。
 でも、たぶんそれは、誰もそうは言いにくいんだと思う。伊集院光も、佐久間宣行もラジオで一応ふれてはいる。でも、今更のように岩井俊二の映画を褒めるのは、ラジオパーソナリティとしてははばかれるのだろう。なぜなら、語っても「おいしく」ならない。「さすがだね」ってことにならない。
 『パラサイト』をみんなこぞって褒めるのは、もちろん、いい映画だからだが、それに加えて、褒めやすくて、褒める側がおいしい。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』、『ジョーカー』、『ジョジョ・ラビット』、『2人のローマ教皇』が、『パラサイト』に劣っていたかと聞かれたらどうだろうか?。例外なく、神は神のためにではなく、神を祀るもののために必要なものである。新しい神であれば尚更だ。
 クエンティン・タランティーノや、マーティン・スコセッシ や、クリント・イーストウッドを今更褒めても旨味がない。新しいアカデミー会員にとっては尚更だ。

 岩井俊二はやはり別格だと思わせた。前の『リップヴァンウィンクルの花嫁』は、最小限の機材と少ないスタッフで機動力を生かして、撮りたいショットはすべて撮るやり方でやったそうだった。その結果として2時間半を超える長さになっていた。
 おそらく今回はその逆のやり方で撮っている。シナリオが完ぺきに簡潔だ。岩井俊二自身が原作となる小説を上梓している。しかし、小説として素晴らしいというのでなく、ヴィジュアルも含めてシナリオとして素晴らしい。
 さて、このあたりからネタばれを書くことになる。恋愛映画でネタばれに気をつけたいと思う例は珍しいと思う。あっと言わせるどんでん返しなどはない。そうではなく、ディテールに神が宿っているので、迂闊に口にできない。観てほしいが、教えるわけにはいかない。なので、以下については未だ観ていない人は読まないことをお勧めする。
↓ 

 まず「ラストレター」というこのタイトルだけれど、このスマホの時代になぜ手紙なのかという必然性、そのシチュエーションをつくりだすアイデアがみごとなんだが、そこに止まっていてはウエルメイドなだけである。この映画では、その必然性が、別の偶然を導き、その偶然がまた、もとの必然を変化させる、郵便的(?)な展開を見せる。その結果として、同じ言葉が、元と同じ意味ではなく、もっと深い意味を持って響くことになる。そのようにして、最初の手紙がラストの手紙へ深まりつながっていく。

 キャストもみごと。広瀬すずと森七菜がともに一人二役を演じている。ともにそれぞれの母親の若い頃も演じている。ここが小説にはない映画的文体の素晴らしさだと思う。鮎美(広瀬すず)の母親は亡くなっているが、颯香(森七菜)の母親を演じるのは松たか子。物語のハブとなるこの人が抜群にうまい。森七菜は、広瀬すずが『海街diary』で登場した時の鮮烈さを思い出させる。
 そして、これがネタバレもいいとこなんだが、豊川悦司が出てくるシーンにはちょっと息を飲む。キャストについてなんの予備知識もなく観てよかったと思った。だから、他の人にも、これを読まずに観ることをお薦めする。中山美穂豊川悦司という『Love Letter』の主演ふたりが、時の重みを感じさせる。この2人のシーンの色彩設計がさすがだ。そこは絶対こだわってる。その後の展開のために絶対に必要な転調だ。
 何気ない映像が美しい。監督が、写真に理解があるかどうかは、作品の色合いを変える。だいたい舞台出身の監督は一枚の絵に語らせる感覚が希薄だと思う。
 プロデューサーは川村元気。この人は日本映画を支えるプロのひとり。この人がプロデューサーをしてくれていると、監督は安心して仕事に打ち込めるんじゃないかと思う。
 昨年、突然の訃報が伝えられた木内みどりの遺作はこちらだったらしかった。


岩井俊二監督特別編集 映画『ラストレター』版主題歌カエルノウタMV

 いや、この「カエルノウタ」のMVでさえかなりのネタバレに感じる。まあ、そもそも「ラストは誰にも話さないでください」的な映画ではないのですけれども。