黒沢清監督の2作品。
一番どうでもいいツッコミから先に済ませておくと、寝袋ってあんなに強くないから。
でも、ほんとはどうでもよくないのかも。『蛇の道』の方の味わいは、ホラーではなくハードボイルドなんだから、そのディテールは大事かも。例えば一億円は一万円札で何キロとか、カラシニコフの命中精度は実は低いとか。そういう細部を楽しむのがハードボイルドじゃないだろうか。それを考えると黒沢清監督はハードボイルド向きではないかも。
『蛇の道』の方は1998年のビデオ作品のセルフリメーク。オリジナル版で香川照之が演じた役を柴咲コウが、しかも舞台をフランスに移して演じている。柴咲コウのキャラがハードボイルドに合ってるかどうかってこともあるし、何でこの日本女性がフランスで医者をやってるの?って違和感もある。
つまり、作品の外側のメタ的な要素が気にかかりすぎて、柴咲コウはフランス語頑張ったんだろうなとか、マチュー・アマルリックは黒沢清のファンなのかなとか、そういうのハードボイルドの鑑賞にいちばん邪魔かも。
ハードボイルドはキャストもスタッフも全く無名なのがいちばん美味しい。とはいえ、黒沢清監督だから見にいくわけで、『蛇の道』がそういうごちゃごちゃしたところを超えていったかというとそうでもなかった。
で、『Chime』ですわ。このメインディッシュが45分だったんで、『蛇の道』を露払いに使ったのかな。自分で書きながらどういう理屈かわからないが、ともかく『Chime』の方が圧倒的にvividに時代を捉えている。何となく社会に蔓延している不満と暴力の予感が作家のセンサーに引っかかっている不穏な空気は、黒沢清ならでは。
そして、主演の吉岡睦雄が、失礼ながらこの映画で初めて観たくらいなのが良い。wikiで調べてみたら『かぞくのくに』とか『菊とギロチン』とか『花腐し』とか、何なら今年観たばかりの『湖の女たち』にも出てたそうなんだけどまったく記憶に残ってないのがすごい。
そして、今月末に公開の『CLOUD』の予告編でも存在感がハンパない。あらまほしいブレイクなのか、とっくに売れてたのか知らないけど、私にとってはあらまほしい出会いだった。
蛇は発生学的にはもともとは手足があったそうだ。しかし進化の過程でみずから手足を捨てて腹で這うことを選んだ。
やついいちろうがエレ片のラジオで(と言っても、関東と沖縄でしか放送してないが)ちょっと怪談じみたハガキを読んでた。姑のいじめに悩んでた人が、何のきっかけか忘れたけど、占い師(?)みたいな人に見てもらったら、「それは蛇だから、今夜から大丈夫になるから」みたいなこと言われて、半信半疑で家に帰ったら、ちょうど玄関のところに蛇がいて、どこかにいってしまったらしい。その日から急に姑が優しくなったって話。
これは怪談というより、古めかしい伝承のような話が現代生活に顔を出すのが面白いところなんだけど、全くの迷信と片付けられもするけど、ユング的な解釈もできる。私たちが「ヘビ」として分類している、手足を捨てて腹ばいで生きることを選んだ生物について、件の人は何かを認識したのかもしれない。
ヘビはおそらく全人類の共通認識の中にあるので、ユングを拡大解釈して、ヘビを元型のように捉えれば、「ヘビが付いてる」なんていう前近代的な迷信も新しい解釈が可能になる。
黒沢清のホラーの怖いところは、ジャンル的なホラー映画とばかりは言ってられない、根源的なところを揺さぶるところだろう。ただの怖がらせ映画とは違う。