古市憲寿に小沢一郎が激怒した背景

knockeye2016-08-25

 少し古い話題になるが、古市憲寿小沢一郎を激怒させた事件があった。
 ニコニコ動画の討論会を司会していた古市憲寿が、「再婚相手は見つかったか?」と尋ねたのが、ナゼ小沢一郎の気に障ったのか、その離婚のいきさつについて、知らない人もいないだろう、なにしろ、東日本大震災からまだ5年なんだし、と思いつつ、念のため検索してみたら、どういうわけかわからないが、あのとき週刊文春がスクープした、和子夫人(当時)の「離縁状」が、ニセモノだの、筆跡鑑定がどうのだの、とっくに一蹴された反論ばかりが出てきて、唖然としつつ苦笑した。
 あのスクープがニセモノだったら、小沢一郎がタダで済ませているはずがないじゃないか?。「再婚相手は見つかったか?」と訊かれただけで激怒するケツの穴の小さい男が、放置していること自体が、アレがホンモノだったことのよい証明になっている。
 東北選出の議員であるにもかかわらず、東日本大震災直後、まったくなりを潜めていたのはナゼだったか、あの記事を読めばわかる。
 古い雑誌の記事だが、今は、電子書籍のありがたさで、アーカイブで読むことができる。「週刊文春オリジナルコレクション」として、紙の書籍でもでているので、読んでみられてはいかがか。個人的には、小沢一郎という政治家を完全に見限った決定的な記事だった。
 わたしが週刊文春を購読しているのは、小林信彦の連載を読むためだが、それまで小沢一郎をおしていた小林信彦が、小沢一郎どころか、政治そのものについて、あまり書かなくなった、だけでなく、その後のエッセーで「政治オンチの自分」とさえ書いていた。
 記事が出たのは大震災の翌年だったようだが、私としてストンと胸に落ちたのは、大震災直後、それまで小沢一郎の懐刀と思われていた細野豪志が、水際立って菅直人と行動を共にし始めたのはナゼだろうと不思議に思っていた、そのわけがわかったからだった。
 細野豪志は、震災直後の小沢一郎の行動を知る立場にあったはずだから、細野豪志の態度は、和子夫人の証言を裏付けている。細野豪志の政治家としての原点は、阪神淡路大震災のボランティア活動なのである。
 小沢一郎のようなただの選挙屋が、さも改革派のような顔をしてまかり通ってきたことは日本の民主主義にとって不幸だった。