小沢一郎夫人の手紙

knockeye2012-06-15

 今週の週刊文春に、小沢一郎の奥さんが、震災のあと、去年の11月に、支援者に送ったとされる手紙が全文掲載されている。
 私信を読むというすこしの後ろめたさを感じながら読み始めたが、一息に最後まで読み終えてしまった。内容云々よりも、そこに響いている感情の強さが、読後にまで残響を漂わせている気がした。
 読む読まない、信じる信じないは、どうぞ御勝手にというしかないが、この震災以後の小沢一郎の言動について、割り切れぬ思いをしてきたことが、優れた推理小説の謎解きにいあわせたみたいに、ばらばらのパズルが目の前で一つにまとまっていくようで、しばらく呆気にとられていた。
 事実だけをいうにしても、たしかに、震災直後、小沢一郎は国民の前に姿を見せなかった。
 東北出身の政治家であれば、ドンキホーテめいた空回りでも、勘違いの暴走でも、蟷螂の斧を振り回すだけでも、あるいは、人に売名行為だのスタンドプレーだのと罵られたとしても、‘なにか’あってもよかったのではないか。
 しかし、あのころ確かに小沢一郎の姿は、国民の目の前から消えていた。今度の記事に書かれていることが真実かどうか、私には確信する根拠も、疑いをはさむ根拠も、ともに持ち合わせないのだけれど、しかし、もし真実だとしたら、どうして小沢一郎のもとから、盟友とか腹心とかいわれた人たちが去っていくのか、あまつさえ、あるいは敵に回り、あるいは口を閉ざすのかが、むしろ腑に落ちる。
 そして、小沢一郎が震災後にやったことといえば、菅おろしの画策だけだったのもまた事実である。そのことにも、夫人の手紙はふれている。
 小沢一郎という人物が、この手紙に書かれているような、呆気にとられるほどの矮小な人物だと仮定すると、それは、彼の一連の言動の動機に、論理的整合性をもたらすように私には思える。
 ところで、このブログに何度か書いたことだが、みんなの党の松田公太の証言によると、震災直後、「東北に地盤のある議員は、1週間被災地にいかないこと」とする文書が回されたとあった。
 東北の議員こそまっさきに被災地に赴くべきではないのか。
 この文書の発信元が誰だったかは知らないが、このような文書がスキャンダルにならないほど、この国の政治が腐っているということは事実だろう。