ニューヨークのニューラジオが好きでよく聴いている。特に、あまり知らない若手の芸人さんたちとのトークが抜群に面白かった。霜降り明星との絡みとかも面白いし、そういう意味で、フリートークの彼らをまず好きになったと言っていい。
彼らを初めて知ったのが、おぎやはぎの「めがねびいき」ってこともあり、「ニューヨークは漫才よりコント」っていうおぎやはぎの批評もあり、現にキングオブコントのコントが面白かったこともあり、2019年のM-1グランプリで、松本人志が「笑いながらつっこむのが好きじゃない」といった、ニューヨークの漫才についての評が気になりながらも、そんなに深く考えてなかった。
でも、この1週間、ずっと伏せっていたので、ニューヨークの漫才も見る機会があった。それで改めて、なるほどと思ったのは、ニューヨークの漫才でどこが弱いかといえば、やっぱり、ツッコミだと思った。
ニューヨークのネタは2人で練り上げるのだそうだ。ダウンタウンのネタは松本人志が考える。爆笑問題のネタは太田光が考える。みんながみんなではないとしても、漫才のネタはボケが考える場合が多い。ツッコミは最初からネタの外にいる。この違いは大きいのかもと思った。
私が見た漫才は、ナイナイの岡村さんが「ハプニングバーのネタ」と呼んでる奴だった。嶋佐のボケはすごく上手いと思った。わざとらしくない。対して、屋敷のツッコミは、もちろん下手ではない(2年連続M-1ファイナリストのツッコミが下手なわけがない)が、どう言ったらいいのかよくわからないが、ボケの内容のユニークさに比するとツッコミにもうひとひねり欲しい気になってくる。
おぎやはぎが「ニューヨークはコント」と言った意味もその辺にあるのかもと思った。ツッコミという漫才特有の仕組みに屋敷のキャラが乗ってないと思えてしまう。
ダウンタウンの漫才とフリートーク、爆笑問題の漫才とフリートークにそんな大きな違いはないと感じる。それに対して、ニューヨークの場合、漫才とフリートークが大きく違う。
さまぁ〜ずやおぎやはぎもそう言ってたが、東京の漫才にとってツッコミはハードルが高いそうなのだ。
これは小林信彦も書いていたと思うが、ツッコミは熟練に時間がかかる。そのかわりツッコミのスキルが上がると、長く活躍できる。浜田雅功がその好例だと思う。
ツッコミは大変。2020年のM-1グランプリで上沼恵美子と松本人志がおいでやすこがに票を投じたのも、ツッコミに対する評価だったと思う。
ツッコミがオリジナリティを獲得すると大化けできる。やすきよ、ダウンタウン、さまぁ〜ず(は漫才じゃないにしても)、オードリー、ぺこぱ。
松本人志のニューヨーク評は、そういう一段高い要求だったんじゃないかと思った。