『少女は夜明けに夢を見る』

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 公式サイトにある監督インタビューによると、このメルベダード・オスコウイという人は、かつてフレデリック・ワイズマンのワークショップに参加したことがあるそうだ。そのQ&Aをそのままコピペする。

Q:映画の中で、少女の一人が「私の家族を撮影したらいいのに」と言いますね。その方向性は考えたことはありますか?

 かつてフレデリック・ワイズマンが「あなたの映画はなぜあんなにすばらしいのか」とたずねられたとき、こう答えたんです。「物語の地理的要素は最小限に抑えている」と。宇宙の、大きな摂理はとても小さな空間に見つけることができます。ただ深く洞察していけばいい。
 実際、ワイズマンの作品と、アムステルダムで何年も前に参加した彼のワークショップは、私の映画制作に多大な影響を与えてくれました。
 施設の外に出て撮影する必要があると感じたら、少女の物語に何か欠けているということです。私は、欠けているものは何もないと思っていました。
 この作品では、建物の周りのフェンスを通してでしか、外の世界を見ることができません。しかしそれですら解放感をとらえているわけではない。施設は、少女たちにとって、その時点では完璧な世界なんです。ほとんどの子が、施設にいたほうが幸せで、安心しています。皆と一緒にいますしね。その空間の外は、危険に取り囲まれている。自分たちの家族ですらそうです。私は、施設から出ることを、ある種の拘留の始まりのように表現しようとしました。

 この少女たちはこの施設の外ではこんな風に泣いたり笑ったり歌ったりできないんだろうと思った。ドアの上に「isolate」と書いてある、隔離施設、収容所、避難所なのか、よく分からないが、ただ路上生活をしていた少女から父親を殺した娘から、いろいろな立場の人がいっしょに暮らしている。
 岩波ホールでやる映画はパンフレットが充実している。シナリオが再録されているので後からディテールが確認できる。他にも、エッセーが載っていた。その人は奈良にある少年刑務所で受刑者と詩を作るワークショップをしたことがあるのだそうだ(ルシア・ベルリンの「さあ、土曜日だ」みたい)。この映画の少女たちの環境の方がはるかに自由なのに驚いていた。
 日本の官僚システムは、人権意識が低すぎる。
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女性の着替えやトイレを監視―入管が組織的セクハラ、森法相もドン引き(志葉玲) - 個人 - Yahoo!ニュース

恥ずかしい

2019/11/12 03:20

東京入管、救急搬送必要な収容者を迎えに来た救急車を追い返す異常事態 | ハーバー・ビジネス・オンライン

日本という国に生きているのが恥ずかしい

2019/11/14 07:58

日本:入管施設で長期収容に抗議のハンスト198人 : アムネスティ日本 AMNESTY

国内法に定めのない、または国際人権基準に沿わない目的や手続きで拘束する行為は、恣意的拘禁であり、日本に対しても法的拘束力のある市民的政治的権利に関する国際規約第9条などの国際法に違反する。

2019/11/15 12:48

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 ヴィム・ヴェンダースの「もしも建物が話せたら」で、ノルウェーのハルデン刑務所を観たが、日本の入管施設との隔たりには、ただ、施設の差があるのではないと思う。社会の歪みが弱いところに吹き出す。その傷口から目を背けているうちに毒が全身に回る。
 少なくともイランでは、このような取材が許されて、このような映画が限定的であるにせよ公開できる。昨年の「表現の不自由展」をめぐるゴタゴタを考えても、日本社会がイラン社会より民主的だといえるだろうか。この映画の少女たちを見るかぎり、日本社会の方がイラン社会よりも優しいとさえ言えないと思う。


『少女は夜明けに夢をみる』予告編



6人の監督×6つの建物!映画『もしも建物が話せたら』予告編