「サウルの息子」

knockeye2016-02-04

 新宿シネマカリテで「サウルの息子」。朝一の回なら空きがあるというので、早起きして出かけました。新宿に着いてから調べたら、ネットで予約できたんですね。1時間前までOKだったそうだけど、気がついたときにはもう45分前だったので、情弱のざまをさらして並びました。そこまでひどい混雑ではなかったですがね。
 「サウルの息子」は、ネメシュ・ラースローてふ、タル・ベーラ監督、「ニーチェの馬」を撮った監督、の助監督をしていた人の長編デビュー作です。カンヌでこれが上映された時の衝撃はわかる気がします。思いっきり振り切った演出。でも、奇を衒っているわけではなく、それは主人公が遮断している外界の残酷さを観客に訴えてきます。
 主人公は「ゾンダーコマンド」といって、ナチスユダヤ人収容所で、大量虐殺された同胞の後始末をさせられるユダヤ人です。
 タイトルにある「息子」は、ほんとに主人公の息子なのかどうか、よくわからないのですが、ともかく、主人公が処理する遺体の中に、子供が一人まだ生きていた。ナチスの医者にすぐ殺されるのですが、サウルはその子を自分の息子だと言って、ユダヤ教のしきたりに従って、正しく埋葬してやろうとあがく。プロットの骨格はシンプルですが骨太ですね。
 今までもたくさん作られてきた「ホロコースト」の映画になくて、この映画にあるものは、ユダヤ人にとってのホロコーストではなく、ユダヤ教徒にとってのホロコーストという視点だろうと思います。
 これまでは、ホロコーストの映画を撮っても、それは、キリスト教徒の視点だった。キリスト教徒としてなすべからざる罪だったという認識が前提であったように思います。それは結局、中国系アメリカ人が演じる日本人のような、白人が演じるマイケル・ジャクソンのような(?)、キリスト教徒を優位において描いている映画であって、ホロコーストユダヤ教徒にとって、どのように苦痛であったかには、これといった関心を示したことはなかったように思います。ネメシュ・ラースロー監督のカメラはサウル個人に徹底的に迫ることで、そこで行われている残虐性を正確に描いていると思います。
 その意味でも、一瞬、幻想かとも思えるラストシークエンスはこの映画を名作に押し上げていると思います。人間性の不思議さを感じさせます。
 その人間性と対立的に描かれているのは、ナチスの合理性でしょう。ユダヤ人をユダヤ人に殺させるのは、全く効率がよい。しかし、そこには人間性のかけらもない。日本とドイツといった後進国に、このような合理主義が猛威を振るった事実には注目すべきだと思います。