「月光ノ仮面」


 噺家、森乃家うさぎが、最後に大受けをとる、悪夢のようなラストシークエンス(というか、悪夢そのもの)は、舞台に立つことを生業としている人たちが、ときどき襲われることがあるものかもしれない。むかし、桂ざこばが似たようなことを枕で言っていた。だからか妙になまなましい。
 たぶん、芸人は、生まれながらにして、人を笑わせる技術をもっている。しかし、北野武がよく言うように、喜劇はひっくりかえせばいつでも悲劇だ。観客が何を笑っているかに気づけば、芸人はうすら寒い思いをするだろう。残虐性こそ、大衆の真実であることはまぎれもない。
 穴を掘る遊女のエピソードは印象的だ。ドクター中松の登場は唐突に見えて、現に、この映画の観客、私たちに向けられた毒である。それをみごとな無言劇にして、映画の時間軸に無理なくひそませている。
 この映画は見ている私たちの、残虐性、無責任さ、どうしようもなさ、をも描いて見せている。モチーフとなった古典落語粗忽長屋」のオチを思い出してみてもいい。
「あれあれ、なんだか訳がわかんなくなってきちまった。死んでいるのは確かに俺なんだけど、こいつを見ているこの俺はいってぇ誰なんだ?」
 それから、池に落ちた森乃家うさぎ目線の、石原さとみのイメージがすごい。ラストシークエンスもそうだけれど、この悪夢の連続のような世界観を、理解して作り上げたスタッフもキャストもすごいと思う。