サリー・ホーキンスとイーサン・ホーク。
モード・ルイスはカナダに実在した絵描きさんだけれども、分かっているところと知られていないところがあるらしいので、この映画を観ただけのわたしが、事実関係についてあれこれ書くのはバカげている。
映画の最後に出てくる、実際のモード・ルイスの映像を見たとき、混乱して思わず声が出そうになった。えっ、サリー・ホーキンスじゃないの?、と思った。お芝居のあとに役者さんがカーテンコールで出てくる、ちょうどそんな感じに、さっきまでモード・ルイスを演じていたサリー・ホーキンスが舞台の袖から出てきたような。
ルックスが似ているわけではなく、しぐさ、表情など、たたずまいのすべてがそれまでスクリーンで見ていた、サリー・ホーキンスのモード・ルイスそのまま。アシュリング・ウォルシュ監督のインタビューによると「衣装の中で最初に決まったのが靴でしたがその靴でサリーはモードの歩き方を見いだしてくれました。」のだそうだ。
しかし、歩き方だけではなく、やはり、笑顔と、その内側にあると思われる、モード・ルイスが何かを見ている、その見方を見出していると思う。
この演出のすばらしいところは、思い切りのよいすっとばしかた。心理的なところはすべて役者の表現によっていて、たとえば、モード・ルイスがなぜ絵を描いているのかの説明などは一切ない。
絵を描くシーンと同じくらい絵を売るシーンも多い。旦那が魚を売る、そのついでに、女房が描いた絵も売る、飼っている鶏をつぶし、スープを作り、床を掃除して、網戸を張る。それぞれのシーンの間に10年くらい経っている場合もあるようだった。
エべレットがモードの遺品の中から、出会いのきっかけになった求人広告のメモを見つける。出会いと別れの間に暮しがあって、その暮らしに、絵を描いたり、絵を売ったりが含まれていただけ。
それだけなんだけどって笑顔を、サリー・ホーキンスも、実際のモード・ルイスもしている。それはすごいと思う。
旦那のエべレットを演じたイーサン・ホークは、いわば、受けの芝居になるのだけれど、自分ひとりの暮らしに、モードがやってきて去っていった、そんな無骨なたたずまいが見事だった。インタビューに「大人の恋愛を描いた作品は本当に少ない。これは過去にない美しいラブストーリーだ」と、本作を語っている。
難民鎖国日本
今日、新宿で映画を観た帰り、ロマンスカーに乗って、radikoでバナナムーンGOLDを聴きながらヘラヘラ笑ってたら、となりのおばさんに、
「お楽しみのところすみませんが・・・」
と、スマホの画面を示されて、
「この『トランプがメキシコ移民を日本に』ってどういう意味なんでしょう?」
と話しかけられた。
なんとか辻褄の合う説明をしようかと考えてみたけど、日村さんが臨終のときに設楽さんを笑わせようと言ったひとことが気になって、適当な受け応えになってしまった。
まあ、でもこれは、AirPodsでヘラヘラしてるわたしが気色悪かったんだろうと、質問の意図を忖度して、なるべく慎ましく聴くことにしたのであるが、その一方で、ホントにトランプの発言が衝撃だったのかもしれない。
「国境に壁を作って移民を入れないって言ってたんですよねぇ・・・」
バナナムーンGOLDを聴いてなくて、真剣に集中して意味を考えても、このトランプの発言の意図は全然わからない。
ふつう政治家の発言は、その1、意図が正確に伝わるように言葉を選んで話す、その2、最大の効果が上がるようにタイミングを計って話す、のであるが、このトランプの発言は、意図も伝わらなければ、どういう効果を狙ったのかも分からない。
というわけで、これについてこれ以上何も言えないし、考えられないが、自由連想として思い浮かぶのは、とにかく日本は難民の受け入れに消極的すぎる。人口減少のとりあえずの処方として、難民や移民を受け入れる以外に方法はないし、それは国際的な要請でもある。テロとか、軋轢とか、そういう副作用は、乗り越えられるし、それを乗り越えることは、よい経験値になるに違いない。メリットとリスクを天秤にかけても、メリットの方がはるかに大きい。
ちなみに、難民受け入れに積極的なドイツでは、出生数が五年で2割も増加したというニュース。
政府が外国人労働者受け入れに動き出すというニュースもある一方で、日本人女性と正式に結婚し、本来であれば在留資格を認められる立場であるにもかかわらず、長期にわたって東京入国管理局の収容施設に拘束され、自殺未遂を起こしたクルド人男性のニュースもあった。
個人的にはこちらの方がモリカケなどとマスコミが言葉遊びで呼んでいる問題よりはるかに重大だと思うのだが、今のところ、SPA!以外は黙殺らしい。