横山大観「無我」

長いはずだった盆休みも少しずつ仕事に浸食されてきた。フェリー予約していなくて良かった。


ところで、今度、横山大観「無我」が、来る。教科書でおなじみの、ガキがぼーっと立ってる絵だ。あの絵の何が「無我」なのか、さっぱり分からない。というか、正直言って、ああいう絵に「無我」なんて言う題名をつけて名画ぶっているのを、江戸時代の優れた日本画と比べると、精神世界の衰退みたいなものを如実に感じる。いかにも明治の豪傑らしく酒色に放埒であったらしいこの画家にとっては、ガギかぼーっと立っているのが「無我」だったかも知れない。おそらく「無」についても、「我」についても、一度も考えたことがないであろうと思われる。


エメール・ギメが集めた仏像の中に、走る毘沙門天があった。何かと思えば、外国人の注文に応じて作られた土産物だそうだ。人魚のミイラとかと同じたぐい。私は、横山大観「無我」に、似たような匂いをかいでしまう。「無我」どころか全くの「我」じゃないだろうか?