負け犬再考

昨日、久本雅美で例の『負け犬の遠吠え』がドラマ化されていた。どうもこの言葉が引っかかるのは、何か隠された意味があると思えるからだ。酒井順子という人の地道な文筆活動の成果という側面もある。その意味では、とくに『負け犬』でなくてもよかったかも知れない。だから、酒井順子の側から見れば、しっくりいったネーミングではないのかも知れない。私としては、30代、未婚、子なしが、どうして負け犬なのか、全く納得できない。むしろ、全く逆ではないだろうか?あまりにもおいしすぎて後ろめたいので「負け犬」とか言っているのではないかと勘ぐってしまう。
ひとつ言えることは、団塊の世代とか、フリーターとか、DINKSとか、何かそういうたぐいのひとかたまりの人たちが出現しているということなんだろう。勝ち負けは、おそらくなんの関係もないのだと思う。