伊藤公象展

伊藤公象の生家は金沢の彫金家、十代で陶芸家に弟子入りし、その後、現代芸術の道にすすんだ。1932年生まれというから、今年で77歳になる。

今日は暑い一日だったので、日差しが入り込む空間で、直径10メートルもあったろうか、円形に並べられた<アルミナのエロス(白い固形は・・・)>には思わず目を細めた。
また屋外の空間では<土の襞 踊る焼凍土>が,夏の日差しの中、煉瓦のような赤い円を描いていた。
ガラスを境に対照的に置かれた赤と白の陶片の円。
私はこの同じ場所でみたイサム・ノグチのことを思い出していた。イサム・ノグチが北海道に巨大な公園を造ったように、この伊藤公象の作品も、もしかしたら美術館ではなく、もっとふさわしい場所があるのではないかと想像してみた。
例えばこの二つの円が、古い寺院の渡り廊下を挟んで右と左にあったらどうだろうか。
あるいは、美術館の床一面を埋め尽くす<濃紫の多軟面体>や<44の染体>の、多軟面体と名付けられた作品が、泉の湧き出す浅い池の底を埋め尽くしていたらどうか。
水分を含ませた陶土をトレーに薄く流しこんで凍らせ、そのまま焼成した60枚の陶板レリーフ<土の襞−青い凍結晶−>が、枯山水の庭に並んでいたらどうか。
また、<木の肉・土の刃>が夕日を浴びるすすき野の中に突然現れたらどうか。
そのような想像をたくましくしたのは、作家が金沢出身という連想があったかもしれない。ベンガラのあの赤い壁の家の庭に、これらの作品はよく映えるだろうと思った。
そして、あの白い円の中心に一個の李朝の壷を、赤い円の中心に縄文土器の甕をおいてみたい気がした。実際にやったらちょっとやりすぎになるだろうけれど、こないだサントリー美術館で見た李朝の壷に、この巨大な白い円のパワーが収斂するように思えたための想像だ。