週刊アスキーの記事ふたつ

山崎浩一の「今週のデジゴト」に、以下の文章が引用されていた。
全文は↓
http://www.ipsj.or.jp/05system/digital_library/IPSJ-MGN460522.pdf

 それでは,現在のテレビ放送はどこまで公共的であろうか.たとえば1週間続けてフジテレビばかり見続けた視聴者が,「実に公共性の高い放送であった」と,胸を張れるとは到底思えない.否,フジテレビにとどまらない.NHK放送も大同小異である.なぜそれならば日本にはCNNのように四六時中公共性の高いニュースだけを流すチャンネルが存在しないのか.それは1つには視聴率万能主義がまかり通っていることにあるが,本質的な問題として,日本のメディアは裏支配構造の中で,今日まで競争原理が十分に働かない寡占状態が続いていることによる.さらに申せば,今回のホリエモン騒動でいみじくも明らかになったように,産経新聞,フジテレビ,ニッポン放送がたて系列で繋がっていることである.すなわち,日本の主流メディアは寡占に加えて,マスメディア集中排除原則があるにもかかわらず,新聞社やキーテレビ局を中心に見事に系列化されているので,期待できる言論,表現の幅は狭く,またお互いの批判は控える構造となっているのである.このことが公共性の欠如に拍車をかけている.そればかりではない.新規企業や業界が参入を試みようとすると,徹底的に排除にかかるのである.
 その1つの実例として,国会の審議状況を国民に広く伝えようと鳴り物入りで登場した「国会テレビ」が種々の妨害に遭い,いまだに国民の間に広がることなく,今や風前の灯になっていることを挙げることができよう.また,先日,テレビ朝日の広瀬社長が,「日枝会長の対応はきわめて適切であった」と,本来ならば競合する相手であるはずのフジテレビを擁護する発言をしたことも記憶に新しいが,これも既得権益を守ることに躍起となっているメディア業界の本質である.日本の国益に沿った番組構成もできないメディア業界が,この時とばかりインターネットビジネスの参入を,公共性を阻むものとして,協力して排除にかかる体質こそ,公共性を阻んでいるのではないかと疑わざるを得ないのである.むしろ,公共性を担保するためには,一企業が保有する媒体の種類や数などを,もっと厳しく制限する法制度が必要なのではないかと考える.そのようにしてメディアの多様性を保障する政策を作り上げるべきである.

鳩山由紀夫現首相の原稿だそうだ。

そしていみじくも歌田明弘の「仮想報道」は高速道路の無料化について。
図らずも、民主党がらみの記事がリンクしたわけである。
高速道路の無料化に反対する声が多いというのにはちょっとあきれている。

現政権がタダにすると選挙で公約して、その公約を守るといってるのに、それに反対するとは。
羊たちの沈黙」という映画で、ジョディ・フォスターがいっていた台詞を思い出す。羊たちにとっては逃げるより食われる方が楽だという、そういうことなんだろうか。私なら逃げるけどね。
渋滞とかCO2とかは、無料にしてから考えても遅くないだろ?ちがう?
そういえば、ガソリンの暫定税率が廃止になっていたとき、迷惑がっているガソリンスタンドの経営者をニュースで見た。
税金を取りませんって言ってるのに。
どれだけ金持ちなんだよ、日本人。