ネタバレ(でもないか)

この映画を「傑作だ」というひとがいても、私は反論しない。現に、泣いたしね。
ただ、私からそう言いだすつもりはないというだけ。
辻仁成が、原作、脚本、監督、に加えて、主題歌まで作詞作曲しているから、良くも悪くも辻仁成の作家性がそのまま出てしまうのだろう。
いちばん「まずいな」と思うのは、タクロウくんの母親(坂井真紀)の処理で、北村一輝アントニオ猪木を都合よく交差させるためだけに存在しているのは明らかで、こういうあたりがどうしても引っかかって楽しめないという人には強いてオススメはしない。
作家の興味は、北村一輝アントニオ猪木の二人の父親の存在にあったのは間違いない。
そのためにか、石田えりと坂井真紀の母親側の描き方が浅くなっている印象はぬぐえない。
ただ、プロレスの覆面と、腹話術の人形を使った、含羞のある表現はすごくいいと思う。
そして、辻仁成にはロケハンの必要すらなかっただろう函館の街も美しく、この映画のたたずまいにすごく似合っていた。
それだけに、母親側の描き方にもうすこし工夫ができなかったかなと残念だ。
でも、映画って何のために見るの?っていうこと。
喪失感と罪悪感の重さに耐えている一人の男の姿を、今回のアントニオ猪木ほどに表現できる役者がいるとは到底思えない。
そういう芝居にふれる事のできる映画のほうが、‘よくできました’という映画より観る価値がある思うひとには是非オススメしたい。
アントニオ猪木の男泣きに心打たれる。