言葉について

knockeye2004-06-19

今日は出勤だった。


昨日、実は、バシシさんよりかなり早く着いて、暇をもてあましていた私に、ダニエルさんが流暢な日本語で声をかけてきた。そうなると、不思議なもので、頭に一言の英語も浮かばない。もう一人、BMWのアメリカ人がいたけれど、こちらの人にも日本語で話しかけてしまった。もちろん、ホントにべらべらなら、起きないことだろう。


お見送りの人の中に、関西弁の人がいた。懐かしの関西弁のはずだが、私の場合、関西を離れると関西弁が出ない。私の場合、関西弁をしゃべる時でさえ、意識しないとしゃべれない。無意識に出てくる言葉が、本当の言葉であるはずだから、方言は言葉の母胎だという話だ。そういう意味では、私は自分の言葉を持っていない。


ときどき、BBSなんかに「文章がうまいですね」とか、書いてくれる人がいる。せっかく褒めてもらって否定するのも不遜だし、受け入れているけれど、正直言って、とてもうまいとはいえない。それに、肝心なことは、「うまい」文章を志向してさえいない。じゃあ、なんでほぼ毎日、日記を書いていたりするのか?これは我ながら不思議だった。


しかし、昨日のことで、なんか分かった気がした。私は、無意識に話せる言葉を失っている。書き言葉は、その部分を埋め合わせようとしているのだろう。この日記サイト、誰かに「読んでますよ」といわれて、ドキッとする事があるくらいだ。


日記サイトが日記に勝っているところは、ページをめくらなくていいこと。ページをめくっていると、自分で自分の日記を読み返さざるを得ない。その点、ブログはいい。3日前に書いたことさえ、忘れている。