『自己責任とは何か』

「自己責任」とは何か (講談社現代新書)
『<自己責任>とは何か?』 桜井哲夫 著 を買ってきた。
出版は1998年なので、今度のイラクとは無関係。もちろん、重版されるについては多少の関係もあろうか。
見開きページに抜粋された丸山真男が引っかかったので読むことにした。

丸山真男の「無責任の体系」──丸山は、東京裁判の被告たち(戦争犯罪人容疑)の発言を分析するなかで、「既成事実への屈服」と「権限への逃避」という2つの要素を見いだすのです。まず、「既成事実への屈服」です。すでに始まってしまったのだから仕方がない。個人的には反対だったが、なりゆきで始まってしまった以上従うほかない。こうした発言を分析して、丸山は、「現実」が作り出されるものだというより、「作り出されてしまったこと」、あるいは「どこからか起こってきたもの」とみなされていることに注意をうながします。現実的に行動するということは、過去に縛りつけられて行動するということであり、過去から流れてきた盲目的な力によって流されてしまうものとなる。(中略)次に「権限への逃避」です。「法規上の権限はありません」「法規上困難でした」という発言のなかに、職務権限に従って行動する「専門官僚」になりすませる官僚精神の存在が指摘されます。──本書より

自己責任」が話題になった時、「無責任」をキーワードに、丸山真男の事を思い出しても良かった。しつこく書いているが、私がショックだったのは、イラク人質事件ではなくて、人質バッシングの方だ。人質事件の背景は腑に落ちた。しかし、事件の背景が分かってしまうと、なぜバッシングが起こったかは、余計に分かりにくくなってしまう。

じつは、関東大震災の時の朝鮮人虐殺までも頭の片隅に浮かんでいた。今回、バッシングを煽動した新聞社と、朝鮮人虐殺を煽動したデマとは浅からぬ因縁があったと思う。あの虐殺については志賀直哉の小説で読んだことがある。志賀直哉という人の小説の大半は、今の分類でいえばエッセーみたいなものなので、かかれていることは、たぶん、事実だと思う。彼が目撃した例は、震災のどさくさに「朝鮮人だということにして」知らない誰かを殴り殺したと自慢げに話す男。以前に紹介した『華の乱』でも、青鞜を平塚らいてふから引き継いだ、伊藤野枝も夫、大杉栄とともに大震災のどさくさに虐殺されている。

無政府主義者と女性解放論者がデマによって虐殺される。このことが、私の中では、今回の事件とだぶっている。今回は虐殺されなかっただけましだと思っている。

今回のこの本は、事件についてどちらかに偏っているはずはないし、良い本の予感がする。

もう一冊、久しぶりに河合隼雄の本。『心理療法 個人授業』つうのを買った。
心理療法個人授業 (新潮文庫)
河合隼雄に一番ハマっていたのは7,8年前だった。「もっと若い頃にユングに出会うべきだったな」と思ったものだったが、未だにユングの著作は読んでいない。ユングにアプローチするべくどの本を選んでいいか分からない。あんまり、書くことに興味なかった人みたい。