『四集・上方落語ノート』 『ピアニストが見たピアニスト』 

影

ISBN:4790502635
『四集・上方落語ノート』 桂 米朝
ピアニストが見たピアニスト
『ピアニストが見たピアニスト』 青柳いづみこ

どちらも演者の視点からの評論という点では共通している。
ただ、米朝師匠の方は、正月の一門会の後、買ってそのままになっていたもの。青柳いづみこの方は、『青柳瑞穂の生涯』が面白かったので、続けて読んでみたくなったものだ。
米朝師匠は、上方落語中興の祖といわれている。この本を読むと滅びかけた、あるいは滅んでしまった噺を、米朝師匠がどんな風に復活させてきたか、その一端がうかがえる。
『狸の化け寺』なんて、全くの古典かと思っていたが、ほとんど断片から掘り起こしている。米朝師匠の仕事は、青柳瑞穂の日本発掘どころではない。上方落語の世界で考えると、インディー・ジョーンズなみのトレジャーハンティングだ。
この『四集・・・』の圧巻は、「風流昔噺」で、お弟子さんの米之助さんが「風流昔噺」と題された古書を掘り出してきた。それを米朝師匠が読み解いていくのだが、その知識の広さには舌を巻いてしまう。「プロだから当たり前・・・」とかいうレベルではない。
米朝師匠の考証癖とでもいうべきものは、たとえば、別の章になるが、「ネタ裏おもて・その四」の「うちがえという意味」。「うちがえ盗人」という噺について。この“うちがえ”は財布のことで間違いはないが、辞書を見ると「もともと鷹匠が鷹のえさをいれるものであった」と書いてある。そのことを鷹匠さんに尋ねて、そうではなく、鷹狩りに使う犬の餌を入れるものであったと発見する。
その上、「鷹の力草」という言葉についての考証もおまけについている。

さて、打飼という言葉について大いに認識をあらたにしたが、これで「うちがえ盗人」という落語を口演する時に、どれだけ違いがあるか、というと実は何もないに等しいのである。

私は今までにちょっとしたことにこだわって、落語に関するさまざまなことを調べたり人に聞き廻ったりしてきたが、その中には、演出に大きくかかわるものも確かにあった。決して無駄な努力とは思っていないが、どちらでもよいことも少なくない。

しかし、知っているとそれはどこかに出てくるものである。(略)

まったく、「米朝師匠なかりせば」という思いは強い。
青柳いづみこの方は、先週一週間をかけて、ちょこちょこ読んだのだが、文章が達者で、クラッシックに何の知識のない私も楽しめた。演者の視点があるからといって、本が必ず面白くなるとはかぎらない。ちょっと、小林信彦さんの名著『日本の喜劇人』を思い出した。
伝説の名デュオといわれた、ピエール・バルビゼ=クリスチャン・フェラスのくだりで「漫才のやすきよのようなコンビだった」と書いてあったから、案外作者本人も意識していたかも知れない。なにせ書く前に膨大な資料を集める人のようだ。
もちろん、ピアノをやる人の方がぐっと楽しめただろう。「伸ばした指、曲げた指」とか、「手前に引く」「向こうに押しやる」「腕を宙につる」「腕をとばす」なんていう言葉を感覚的に理解できるだろうから。

今日は、暑い一日だった。昨日、会社の親睦会でボウリングをやった。2ゲームやって1ゲーム目が88,2ゲーム目が103。これはどうよ?というところであるが、滅多にやらないことではあるし、致し方あるまい。まだ腕がだるい。
ちきんさんもコットを買ったようだ。私は、コットに続いて、長年愛用してきた(というより依存してきたといった方がいいが)ラフマのポップアップチェアが、崩壊の危機に瀕している。座面の負担がかかる部分がついにびりびりきはじめた。それで、例によってネットでショップアラウンドしてみたのであるが、けっこうお高い。私が買ったくらいだから、そんなに高くなかったはずなのだ。これを買った当時といえば、フォルデイングチェアの王様といえば、マクラーレンのガバダウトに決まっていた。それが、今や値段では逆転している。どうしようか迷ったが、この座り心地は、捨てがたい。他の折りたたみ椅子も試してみたが、これほどのものはない。泣く泣く注文した。
実は、魚津のサンプラザの一階に売っていた。いくらで売ってたのかなぁ?あのころは、今日の日を予想していなかったので、気にも留めなかったが、今では、サンプラザ自体がつぶれてしまったはずだ。いずれにせよ、魚津まで買いに戻るわけにはいかない。