ポンド氏の逆説

われながらあほだと思うが、「ゲームセンターCX」の「大魔界村」編をまた見ていた。脳みそがとけるような時間帯だ。ふとイグナチウス・ロヨラが頭をよぎった。ロヨラは、『自己を克服し、節度なき執着によって支配されることなしに、自己の生活を律するための精神的鍛錬』という本を書いたイエズス会の修道士である。

伝えられるところによれば、布教という危険な仕事のためにプロテスタントイングランドへ派遣されたイエズス会士たちは、出発に先立って特別の鍛錬を受けさせられ・・・(略) この鍛錬の苦悶はあまりにも過酷なので、彼らがついにそのような現実にさらされるとなったとき、恐れを感じないどころか、まったくの無感覚に身をゆだねることができる。彼らは。死すべき生身の人間と、不滅の魂が耐えられるすべてのことにすでに耐えたから。そして、仮にそれが本当ではなくて、彼らもほかの凡人同様に苦しんだとしても、彼らが生き残ってそれを人に伝えることはなかったのである。

これよりは、「大魔界村」のほうがましだが、精神構造は似ている。
オウム真理教と修道会の違いは「自分が神だ」という人間がいるかいないかだと思う。
「冨田メモ」が出て、桜井よしこが大慌てだ。なんであんなにあわててるのかよく分からん。
小泉純一郎は「こころの問題」だといって落ち着いている。彼が靖国に参拝しているのは、自民党総裁選での遺族会の支援に義理立てしているからだろう。つまり彼のいう「心の問題」は「義理の問題」であって「信仰の問題」ではない。
愛国心は悪党の最後のよりどころ」だが、その悪党は小悪党のはずだ。外国と背比べをして、勝てるところがひとつもないと思ったので、愛国心という精神論に逃げ込んだ。そもそもそういう背比べが必要なかったはずだが、それがコンプレックスというものだろう。しかしながら、いつまでもそういうものにしがみついているのは、やはりみっともないと思う。

ポンド氏の逆説 (創元推理文庫 (110‐9))

ポンド氏の逆説 (創元推理文庫 (110‐9))

なんだかんだいって、G.K.チェスタトン二冊目である。推理小説は、精神的に豊かになるみたいな、きな臭いことがないのがいい。あってもなくても別に死にはしない。そういう意味では、お酒とかコーヒーみたいなもので、食わなきゃ死んじゃう主食よりも、逆に質が気になる。
『ポンド氏の逆説』は面白かった。これで、ブラウン神父シリーズが面白いと、はまってしまうなぁ。