『オリガ・モリソヴナの反語法』

オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)

オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)

渋谷Bunkamuraにモディリアーニの裸婦を見に行ったとき、今年のドゥマゴ文学賞の大垂れ幕が目に入った。それで家に帰ってからこのサイトを訪ねてみたわけ。
Bunkamuraドゥマゴ文学賞の特徴は、選考委員がたったひとりで、しかも任期が一年であること。つまり、芥川賞とか直木賞みたいにたくさんの選考委員たちの間でケンケンガクガク、異論続出の挙句に、無難な線でまとまる・・・なんてことがあるのかどうか知らないが、それについてはたとえば小林信彦の『悪魔の下回り』なんかでパロディーにされている。
とにかくたったひとりしかいない選考委員にとっても、自分のセンスが問われるわけで、一般読者としても興味がかきたてられる。面白い試みだと思う。
今年の選考委員は山田詠美で、受賞作は平松洋子著『買えない味』。去年の選考委員は'郷土の先輩’富岡多恵子で、受賞作は大道珠貴の『傷口にはウオッカ』。それで今年の受賞作を読もうと思ったのだけれど、03年の受賞作に目がとまってしまったのは、受賞者がことし亡くなった米原万里さんで、選考委員が池澤夏樹池澤夏樹週刊文春でまわりもちの書評欄を担当しているが、彼の紹介する本は大概面白い。なんとなく旅人のにおいがする。
ロシア人がもし魅力的だとすれば、それはロシアみたいな国を何とか生き抜いてきたからだ。イギリス人はたぶんイギリスという国を自分たちでなんとかしているのだろう。しかし、ロシア人は、のたうちまわるロシアという国に耐えているだけだ。すくなくともソ連という国は悪い冗談だった。言いすぎだろうか。でも、もし日本赤軍の革命が成功していたら?悪い冗談でしょう?
題辞
「オリガ・モリソヴナという教師はプラハソビエト学校に実在しましたが、この物語はすべてフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。」
とある。
だから、読者としては著者自身の人生と重なる部分があることは承知の上で読み始める。著者の少女時代とオリガ・モリソヴナの半生が語られるのだから、かなりな分量たが、本の中の実時間は著者がロシアを訪れた1992年の一週間だけ。それがこれだけの分量を一気に読ませるのではないかと思う。
ただの帰国子女の回想かと思って読み始めると、とんでもないスケールに広がっていく。読み終わってから、「あれ?これちょっとすごい本だったかもしれない。」とか。
本体のほうは読んでもらうとして、文庫版の巻末には、池澤夏樹との対談が収録されている。小説と関係のないところで、ちょっと面白いところがあった。米原万里が世界最高のチェロ奏者といわれるロストロポーヴィチに通訳としてついたときのエピソードだ。ちなみに彼女はロシア語通訳協会初代事務局長でもある。

彼がもう亡命十六年目になったころ、殺されてもいいからロシアに帰りたいと言って、コンサートが終わった後、ウォツカをがぶ飲みして泣き出しちゃったんです。

ロシアにいる間は才能に対する嫉妬やひがみがほとんどなかった。西側は足の引っ張り合いと嫉妬がものすごくて、こういう世界を知らなかったので、それだけで心がずたずたになると言っていたそうだ。

才能は自分のものじゃなくて、神様が与えてくれたものなんです。モスクワ高等音楽院に入って、あまり練習しないのにすごくうまく弾けて、一生懸命努力しているのに自分より下手な人がいる。自分が努力して得たものならそれは自分のものだけれども、これは神から与えられたものだから自分のものではない。そう考えるわけです。

社会主義って言うのはどっうなったんだったっけ?とふと思った。
『オリガ・モリソヴナの反語法』というこの題名については、確かに損している部分があるかもしれない。『魔女の1ダース』、『嘘つきアーニャの真赤な真実』も同じ著者だが、どれが小説で、どれがエッセーかわからない。でも、読み終えてみるとこの題名以外にはありえないと確かに思えるのだから、小説家としては「してやったり」だろう。