吾妻山公園

knockeye2007-01-27

あまり早朝に服装を決めると、昼ごろにとんでもない目にあうことになる、という実例が今日であった。
雲ひとつなく晴れ渡ったので、朝と昼の寒暖差がひどかった。
吾妻山公園ときくところに満開の菜の花を見に出かけた。吾妻山公園が「山」なのか「公園」なのかをまず考えるべきであったし、菜の花が咲いていることを考えても、気温は予想できようというものである。満開の菜の花越しに富士山が眺望できる。ということは、やはり山であるのは分かりきっていた。わたしとしたことが、マイクロフリースの上にゴアウインドストッパーを着て、その上に中綿入り、襟ボアつきジャケットを着て行ったのだから、なかなかの苦行であった。
それもこれもかくのごとき眺望を手に入れんがためである。

げにも、富士は日本一の山であった。
菜の花畑は、メジロたちの朝の食卓もかねている。たくさんのメジロが一心不乱に蜜を漁っていた。

こういう写真が気楽に撮れるところが、FZ-5のよいところ。しかしながら、色の再現力では、やはり、FinepixハニカムCCDに一日の長がある。

例によって、カメラマンもいっぱいいた。一面の菜の花、富士山、シャッターさえ押せば絵になるけれど、思い通りの絵になるかというと、そうではない。たとえば、ピントを花に合わせるか、山に合わせるかで困る。パンフォーカスで両方にあわせられたらいいのだけれど、前にもいったように、FZ−5はf8までしか絞れない。絞ったことになってないのである。だからなるべく引いて撮る。するとレンズの前を人がうろうろする。
それと露出。雪を被った富士と黄色の菜の花だからなるべくオーバー気味に撮りたい。が、あまりオーバーにすると、富士の重量感がなくなる。と思ってアンダー気味にすると、菜の花が重たくなる。わたしはなるべくアンダーに撮りたい。性格が暗いので、写真も暗いほうがほっとする。これもあんまり暗いと写真として間違いと断じられかねない。
波光きらめく海を車窓にみながら、そのまま横浜に出た。今年は暖冬なんだろう。ふと、北陸の冬の海を思い出してしまう。これではアンフェアだと思うくらいだ。
横浜高島屋梅原龍三郎展。ルノワールと個人的に親交があったそうで、初期のものはパクリみたいなものである。「もしルノワールと知り合っていなかったら、わたしの絵は違う発展をしたかもしれない」のような述懐が紹介されていたが、ルノワールに似ていても似ていなくても、よい絵はよい絵、よい画家はよい画家。北京時代の「雲中天檀」は秀逸だし、今回の展覧会で、ぐっと来たのは「椿」と「ビワ」だった。
海老名で映画『ディパーティッド』。待つ間に「マウカメドウズ」という店でワッフルとカフェオレを腹に入れたが、満席でオープンテラスにすわる成り行きになってしまった。わたしとしては、禁煙席があくまで座って待っていたつもりだったが、せっかちな客が、「あの人が座ってるあそこでいい」と言い出して、わたしのところにもウエイトレスがメニューを持ってきた。どうしようと思ったけれど、先述の服装だったし、ちょうど山の端に日が隠れたところだったので、間違いに便乗してそこで食べることにした。やや寒かった。