「ザ・マジックアワー」思いっきりネタバレの話

服部宏という人の映画評欄が「ザ・マジックアワー」を取り上げて
「映画はもとより虚構。が、虚実の皮膜に芸がある。」
として、まぁ、こき下ろしている。
で、今回は思いっきりネタバレの話になるので、例によって、まだ見ていない人は読んじゃダメ。








「脚本もカメラも照明も録音技師もいなくてプロの役者がだまされるか?」
ということについては、寅さんじゃないけれど、「それをいっちゃおしまい」ではある。観客はだまされるつもりで映画館の暗闇に身を潜めるのだから、そこは批評家ほどシビアではないのだ。
ただ、その点は脚本の弱点であることはたしかだと思う。
今回の映画で、三谷幸喜という人が、舞台向きの感性で脚本を書いているということがすごく理解できた。
たとえば、
「カメラは向かいのビルの窓から狙っています」
妻夫木聡佐藤浩市に言うシーン。
あれが実際に窓もビルも存在しない舞台であるならば、観客はあの台詞一つで、窓とその向こうのビルの窓まで、自分の心の中に作り出しただろう。
自分と窓の間に人が立つと、カメラに移ろうとして、身体をよじる佐藤浩市の芝居は、舞台なら最高に受けたシーンだと思う。
しかし、現実に窓と向かいのビルが画面に写っている映画では、嘘が勝ってしまう。たしかにあれではだまされないのである。
妻夫木聡演じるキャバレーの支配人がカメラを用意できなかったのは、脚本上の都合だ。妻夫木聡の用意したカメラではなく、たまたま居合わせたCM撮影隊のカメラを拝借しないと、シナリオの転換点となる重要なシーンがなくなる。CM撮影隊の存在は、この映画ではとても重要だったのだ。
その意味では、偶然に居合わせたということだけではなく、もっと能動的に絡んできても良かったのではないかと悔やまれる。たとえば、妻夫木聡のキャバレー支配人が何らかの形でCM撮影隊の行動に影響を与えうる立場にあると、つまり、やくざの親分、売れない役者、だけでなく、CM撮影隊もだましおおせなければならないという条件にすると、どたばたが更に盛り上がったと思える。
そうすると、ホンモノの撮影班が存在するわけだから、佐藤浩市もだまされ甲斐がある。それに、CM撮影班に紛れ込んでいる重要人物の登場もドラマとしての必然性が高くなる。
他の人なら出来ないかもしれないが、三谷幸喜なら書けたね、たぶん。
「話を詰め込みすぎたために軸がぶれた」という批判については、これは、以前にもふれたが、特に香川照之演じる新興やくざの存在は、話の構造を壊す結果になった。西田敏行が失脚する必然性はなかった。地位を捨てて女と逃げても不自然ではない。
ホンモノのデラ冨樫の登場もいかにも唐突だ。私は途中まで、ホンモノは伊吹五郎だと思っていたのだ。ホンモノがニセモノの撮影をしていたって面白いじゃない?いかにも殺し屋って感じだし。誰も正体を知らない、謎の殺し屋なのだから、最後まで謎でその正体はほのめかす程度で終わっても別に問題なかったと思う。
CM撮影班、新興やくざ、ホンモノのデラ冨樫、この三点は脚本上まだ練る余地があったと思う。
こうやった書いてくると、文句ばっかり言ってる感じになるが、実際に映画館で見れば、ほんとに面白い。観客席は笑いが絶えなかったのである。
ただ、今回のホンについては、突っ込まれる隙はあったし、それは舞台の感覚でホンを書いているせいでもあるかと私はおもった。
いわゆる「テレビジャック」については、三谷幸喜自身の意向ではどうしようもない部分だろう。製作と宣伝サイドの方針によるはずだ。「それでも僕はやってない」のときは、周防正行もテレビに出ていたくらいだ。
最近の映画の宣伝のひどさについては、パチンコ冬のソナタにパロディーにされるくらいだから、この分野に才能はいないのだろうと思う。