桂雀三郎独演会 in 内幸町ホール

knockeye2008-07-30

有給休暇をとって桂雀三郎の独演会に行ってきた。
開演は午後7:00なので、昼の間に日ごろ溜めてる雑事を片付けようと思っていたけれど、冬物の衣類をクリーニングに出すだけに終わった。
昨日遅くまで、「第三の男」のDVDを見ていたせいもある。今日またそれを早送りしたり戻したりして、あちこちと見直していたせいもある。
脚本も原作と同じくグレアム・グリーンだが、本人にそういわれたせいか、原作より脚本の方がよく練られている気がした。いろいろな意味で、映画の方が分かりやすい。なによりも、瓦礫と化したウィーンの市街が映画に魅力を与えている。
内幸町ホールは地下鉄の内幸町とJR新橋の中間くらいに位置する。開場時間より一時間ほど早く着いてしまったので、近くにあったTully'sのソイラテをテイクアウトして、林立するビルの谷間にしつらえられた三角緑地のベンチに座って時を過ごした。植え込みに猫がいてあくびしていた。
ときどき近くのビルからビジネスマンが抜け出してきてこっそり煙草を吸っていく。喫煙者には受難の時代である。
ホールに降りるエレベーターを待っていると、「ここはエレベーターホールです。煙草を吸うなとは言いませんが、マナーを守りましょう」という貼り紙があった。
東京で、平日で、桂雀三郎はどのくらい客が呼べるのか、全く予想できなかったが、これがなかなかの入りで、空席はまばらだった。黒部で古今亭志ん朝を聞いたときより、はるかに入りが多い、この比較に意味があるのかどうか分からないけれど。
雀三郎クラスになると、さすがにどこで演じても客をつかむ。噺もつまるところコミュニケーションなわけだから、客に向かってオープンでないとなかなか成立しない。落語という演しものを演じています、という段階では、やはりまだ前座なのである。
雀三郎の演目は
「ちしゃ医者」
船弁慶
「帰り俥」
柳家喜多八という江戸の噺家が「ぞめき」を客演した。雀三郎とはもう20年来の付き合いだそうだ。
「ちしゃ医者」も「船弁慶」も心から笑った。とくに「船弁慶」の焼豆腐のくだりは大笑いしてしまった。
「ちしゃ医者」のまくらで、噺家という商売はいつまででも続けられるのがありがたい、
「友だちにはもうそろそろ定年というのもいてますけど、わたしらはこれからですさかいな」
これには笑った。
一見、前途洋々たる若者には見えないけれど、たしかに、噺家は50代ではまだ若手だろう。意外なところに高齢化問題解決のヒントがあったものである。
「帰り俥」は小佐田定雄作、雀三郎の十八番で、私はもう三回目くらいだと思うが、これは手馴れたものである。
会がはねて、表を歩きながら、ケータイのスイッチをオンにすると、午後9時3分。他は知らないけれど、米朝一門の落語会は9時に終ることになっている。ケータイをバッグにしまいつつ、「さすが真打」と一人で納得していた。
ところが、JRが、また人身事故とかで、30分ほども電車が止まったらしく、午後九時とは思えない大混雑。往きに横浜で買っておいたポンパドールのバゲットがつぶれてしまった。
内幸町ホールはどういうわけか上方落語の上演が多い。8月7日には、桂米二。チラシには「第十回」とある。また、9月24日には、桂都丸。こちらはなんと「第24回」だそうだ。どちらも通な選択だと思う。米二は引き芸でそこはかとなくおかしい。都丸は出てきただけでおかしい。見た目がおかしいわけではないので、「華がある」というやつなんだろう。
米二には食指が動くが、来週なので、さすがに無理ッス。
10月8日に桂雀三郎春風亭昇太の二人会が、これは横浜、桜木町のにぎわい座。行こうと思います。