このところ、サルスベリの木が目につく。気がついてみると県道の街路樹も一部サルスベリだし、庭木にも目立つように思う。このあたりに多いだけかと思っていたら、先日帰省した実家のまわりにもけっこう見かけた。
夏の花木として貴重だし、庭木として流行りなのかもしれないが、もしかしたら昔からこんなものだったのを、若いときは気がつかなかっただけなのかと思って、複雑な思いをしている。
盂蘭盆の習慣は、地方で少しずつ違う。関東のお盆は七月なのだそうだ。なので八月のお盆休みのころは、月遅れのお盆と言っている。京都の五山の送り火は盛大なものだが、このあたりでは、家々の門先に砂をいれた器を置き、茄子と胡瓜に割り箸をさした牛馬を供えるようだ。線香のにおいが足許に目をむけさせる。
この国では、死者の世界に思いを馳せる習慣が夏にある。夏が死の季節でもあることは、何かしらの陰翳を与えつづけてきただろうと思う。
「夏をうたはんとては殊更に晩夏の朝かげとゆふべの木末をえらぶかの蜩の哀音を」
伊東静雄の詩には夏を詠った名唱が多い。私は子供のころ一年だけ諫早に住んでいた。その年のことかどうか記憶が曖昧なのだが、一度だけ精霊流しをした。夏を詠うことは、きっと死を詠うことでもあるのだろうと思う。
お盆をすぎて急に涼しくなり始めた。今年は秋の訪れが早いのかもしれない。
昨夜は突然の雷雨。家に帰ると停電していたらしく、時計が狂っていた。