1940年体制 補遺

1940年という戦時下、国家総動員的な発想で作られたシステムが戦後も機能したのは、冷戦と高度成長という状況があったからこそだった。
1940年体制の問題のひとつは、生活者ではなく生産者を対象にしていることだと、野口悠紀雄は指摘している。
たとえば日本型雇用についていえば、年齢給と企業別労働組合で労働者を生涯ひとつの企業に縛り付けておくことが、高度成長期の企業にとって有利だったにすぎない。正規雇用非正規雇用という呼称からしてすでに生産者の都合であることに気づくべきだろう。
つまるところ、「正規雇用」と「非正規雇用」の違いは、職能給と職務給の違いにすぎない。本来、どちらか片方を正規とするいわれはない。
「正規」「非正規」の差別は、企業が社会保障負担の費用を逃れるためのいいわけである。だから、「生産現場では非正規雇用を認めない」というのは正しい主張ではない。そんなことをすれば、ただ偽装請負を増やすだけだろう。職能給、職務給いずれの雇用に対しても厚生年金の加入を義務付けるべきだろう。
そもそも、なぜ職務給契約の雇用に対しては、企業が厚生年金を負担しなくていいのか、全く解せない。
それは1940年体制の社会保障制度が、生活者ではなく生産者を対象にしていて、はじめから生活者は眼中にないためだ。そんな制度が破綻しなかったのは、戦後ずっとが右肩上がりに成長し続けてきた経済にあわせて、労働者の所得も増え続けてきたためである。
高度成長がすべての矛盾を覆い隠してきただけなのである。バブルがはじけ、冷戦と高度成長が終焉を迎えたときに、本来は、徹底的な構造の変革が必要になっていたはずだった。
今になって、格差が広がったなどといっているが、

高度成長とは本来は不均衡成長であり、所得格差、地域格差が拡大するはずのもの

だと、野口悠紀雄は指摘している。
したがって、自民党政治とは、補助金や無意味な公共事業など、回収の見込みのない事業にカネをばらまくことで、高度成長によって生じる格差をうずめることであった。
その結果がつまり、グリーンピアであり、かんぽの宿なのである。バラマキが目的だから、2000億円かけたものが売る時に100億円になっても何の不思議もない。
もちろんそこには、官僚には天下り先が、政治家には見返りが、業者には談合による不当な利益が、それぞれもたらされる。
この70年の長きにわたる、官僚、族議員などの既得権益が、必要な変革の前に大きな障碍となって立ちふさがっている。
規制緩和郵政民営化、道路改革などを柱とする小泉純一郎政権当時の構造改革路線は、この1940年体制を改革する端緒となるはずだった。しかし、結果を見れば、後任者の二度にわたる政権の投げ出しと、それに続く・・・
(麻生政権の迷走については、構造的な理解とは別次元の感がある。
渡辺喜美自民党を去ったのは、麻生太郎が言を左右して官僚の天下りを援護しようとしたためであったが、これについては細田官房長官でさえ、さすがに表立って批判したのである。その後、渡辺喜美民主党に接近したのを見て、あわてて天下り禁止に踏み切ったが、それでさえ抜け穴だらけだったことは周知の事実。
安倍内閣福田内閣もかろうじてだが、改革路線を堅持していた。それを掲げて選挙を戦ったのだから当然である。
政党政治は、政党が掲げる理念や政策を選挙で国民に問い、競い合うものであるはずだ。選挙も実施せず、姑息な手段を弄して改革を骨抜きにした麻生太郎のやり方は、政党政治の放棄であった。
上杉隆が指摘しているように、解散前になって小泉純一郎の猿まねをした演説も、国民にではなく自民党員に語りかける始末だった。
麻生太郎鳩山邦夫中川昭一、この三人に共通しているものは、強いコンプレックスだと思うがどうだろうか。
いずれにせよ、国民は迷惑千万である。)
状況がはっきり示唆していることは、やはり、政権交代がなければ改革は不可能だということである。
前にも引用したが、

今後の経済発展は、明確なモデルが存在しないという意味で、きわめて不確実性の高い過程にならざるをえない。
高度成長期においては、到達すべき目標が、先進工業国という形で現実に存在していた。したがって、将来のイメージは明確であり、企業は長期的な投資計画を策定するにあたっても、本格的なリスクを考慮する必要はなかった。
しかし、現在すでに世界経済の先端にある日本にとって、今後の発展に明確なモデルはない。新しいリーディング・インダストリーも、政府が誘導して作り出すようなものではなく、マーケットの試行錯誤によってしか生み出されないだろう。多くの試みが失敗し、成功したものだけが生き残るという形にならざるを得ないのである。

高度成長は終わった。古い制度はもう機能しない。改革を放棄し、古い制度にとどまる決定を下した自民党にはもう未来がない。
大久保隆規秘書の逮捕、菅直人元代表の年金未払いでっちあげ、マスコミの世論操作などをみれば、今後もさまざまな形で既得権益の妨害は続くはずであるが、しかし、幸いなことにそれで問題のありかを見失う国民は意外に少ないということもまた明らかになった。
刺殺された石井紘基議員のためにも、民主党には肚を据えて官僚政治と闘ってもらいたいと思っている。