終の住処

文芸春秋に掲載されている、磯崎憲一郎芥川賞受賞作「終の住処」を読んだ。
この人の『肝心の子供』は読んだ。私としては、今度の「終の住処」の方が好きである。
しかし、クロニクル的な語り口が似ているのが気になった。つまり、もし「終の住処」と同じ語り口の短編がずらっと並んでいる短編集はちょっとつらいだろう。
評者のひとり、高樹のぶ子

何十年もの歳月を短編に押し込み、その殆どを説明や記述で書いた。アジアの小説に良く見られる傾向だ。日本の短編はもっと進化しているはず。

池澤夏樹宮本輝は、ガルシア・マルケスの影を指摘している。
村上龍は、ペダンチックでハイブロウなだけで感情移入できなかったと、かなり手厳しい。
感情移入は、多分できなくてよいのだと思うけれど、ペダンチックでハイブロウに感じてしまうのは、絵画的な構築のせいかもしれない。
作家の持ち合わせた体質だと思うけれど、『肝心の子供』のときもそうだったけれど、視点が、主人公に寄り添わず、かといって、神の視点というわけでもなく、地上3mくらいのところに浮かんでいる感じで、いわば精霊の視点とでもいおうか。
それが今回のこの小説ではうまくいっていると思う。
選評を読んでいると、芥川賞に限らないのだろうけれど、選考委員って、きついこというのね。