「休暇」

休暇 [DVD]

休暇 [DVD]

「休暇」のDVDを借りて見た。
去年、見逃してしまって残念に思っていた。
主人公の平井(小林薫)は、ベテランといっていい刑務官で、もう若者とはいえない。
刑務所というのは、水槽の底のような職場で、その静かな水面に小さな波紋ひとつも立てないように、ぶっきらぼうだったり、ひょうきんだったり、誰もが心の揺れを抑えこんで、日々を過ごしているように見える。
しかし、それでもほんの小さなさざ波は起きる。
平井は、六歳の男の子を連れ子に持つバツイチの女性(大塚寧々)とお見合いして結婚することになった。
そしてもうひとつ。そこに収監されている死刑囚の金田(西島秀俊)に、死刑執行の命令が下った。
絞首刑執行に際して、死刑台の下で死刑囚を抱きとめる係を務めると、一週間の休暇がえられる。「ささえ役」というそうだ。
その年、母親の葬式で有給休暇を使い果たしていた平井は、休暇のために「ささえ役」を志願する。なかなか心を開いてくれない新妻の連れ子のためにも、新婚旅行はしたかったのだろうと思う。
その年で初婚の平井にとっては、それはある意味、至極当然のささやかな望みだ。「ささえ役」は、誰かがやらなければならないのだし、平井も過去に経験している。しかし、それを志願してやるのと、命じられてやるのとでは、おのずと意味が違ってくる。
「ささえ役」を志願することは異例であり、その異例は静かな水面にさざ波を起こした。
そしてそれは、それ以上に、その休暇を使って新しい家族と小旅行に出る平井自身にも、もちろん影を投げかける。
この「ささえ役」は、「おくりびと」の饒舌にくらべると、はるかに寡黙である。「ささえ役」は事実だけを言えば、実際に人を殺しているのだ。
平井にとって新しい門出となる結婚の過程と、死刑囚金田の刑が執行されるまでの過程が、並行して交互に語られる。
肌理こまやかな演出で、観客に触感までも感じさせる。
たとえば、男の子の投げたゴムボールが、思いがけず強く平井の胸に当たる瞬間とか、眠ってしまった男の子を抱きかかえて歩く平井に、新妻が話しかけるところとか。もちろん、そのほかにも。
絵を描くシーンが重要なコントラストを与えていることも見逃せない。
音楽と絵の対比が出てくる。昨日読んだばかりのバタイユの「宗教の理論」とつい思い較べてしまうのだが、私たちの宗教はやはり少し非音楽的なのかもしれない。時間が欠落しているような、あるいは、時間を超越しているような感じがする。時間が線ではなく円なのである。そのため、宗教に求められることも少し違ってくるのかもしれない。
話がそれてしまったけれど、映画が寡黙なのも、絵画的な表現によるところが大きいかもしれない。ひとつの所作やポーズが多くのことを表現する。
平井が誰かを抱きかかえるという所作が何度か繰り返される。あるいは、登場人物が絵を描く姿とか。その繰り返しが立体的で厚みのある印象を観客に与える。
それから、やはりどうしても「おくりびと」と比較してしまうが、あちらはアカデミー賞を獲ったのだし、すこしはいやなことをいうのも許してもらうことにすると、広末涼子と大塚寧々の、布団の中でそっと目を覚ます芝居ひとつを較べても、説得力が違うと思う。もちろん役者だけの責任ではなく、シナリオも含めてだけれども。