「誰よりも狙われた男」

knockeye2014-10-25

 今週は職場でろくでもないことがあり、いやな思いを引きずっていた。私は怒りを抑えるすべをなかなか学べない。
 そのせいでは、まったく、ないけれど、TOHOシネマズららぽーと横浜のチケットをvitで予約していたのに、映画館に足を踏み入れてはじめて、なぜか横浜ブルグ13に来ていることに気づいた。「えっ」と思って時計を見たけれど、もうどうしても間に合わないので、仕方なく次の回をもう一度買い直した。
 空いてしまった時間を横浜そごうのトーベ・ヤンソン展にあてようとしたけれど、これが、門前市をなすにぎわい、めちゃくちゃ混んでいるので入る気がなくなり、映画館のシートについてやれやれと思っていると、隣の男が靴を脱いだ片足を膝にくんで足首をぐりぐり、加齢臭のしみこんだ靴下が臭いし、どこまでひどい一週間なんだと腐っていたのだが、こんなことをながなが書き連ねるのは、この映画が、その程度のことはきれいにリセットしてくれるよい映画だといいたいわけ。
 同じくジョン・ル・カレ原作の「裏切りのサーカス」もそうだったけれど、キャストが渋い。これが遺作となった主演のフィリップ・シーモア・ホフマン、それから「プラトーン」のウィレム・デフォー、こないだ観たばかりの「アバウト・タイム」のヒロイン、レイチェル・マクアダムズ、「東ベルリンから来た女」のニーナ・ホス、「ラッシュ」でニキ・ラウダを演じたダニエル・ブリュール、「声を隠す人」で米国史上初の女性死刑囚を演じたロビン・ライト
 主要キャストがほとんど主役クラス。とくに、ロビン・ライトのCIAエージェントは、この人でなければダメだったと思う。それをいうとニーナ・ホスもそうだけれど。
 落語で言ういわゆる「オチ」は、「サゲ」とも「バレ」ともいうが、高座の噺に引き上げられている観客の意識を落とす、現実のレベルに引き下げる、噺の世界側からいえば、それが虚構だとばらす、行為を言うんだろう。これがぴたりと決まると演者も観客もきもちがいい。それは、虚構と現実の水際が立つことで、観客の視点が定まって、物語の顔立ちがくっきりとした像を結ぶから。
 問題は、現実とは何か、リアルはどこにあるのか、ということで、それは、スパイの世界なんかを扱うと、テーマそのものとさえ言える。フィリップ・シーモア・ホフマンの台詞だけれど、「お前は今どこにいる?」という問いが突然襲ってくる。
 「裏切りのサーカス」は、東西冷戦が時代背景だったけれど、「誰よりも狙われた男」は9.11以降の現代だから、そのリアルさは余計に身にしみる。
 ところで、ららぽーと横浜では、この映画、プレミアムスクリーンが通常料金で上映されている。
 さっきもちょっと書いたけど、実は、「アバウト・タイム」という映画を、4日に観てるな。
 キライではない。でも、甘さは上品だけど、苦みが足りない、という感じ。英国社会が持っている世代の連続性というイメージには常に魅了されるけれど。自然の景観を保つ努力にも。
 自然の景観で思い出したけれど、小林信彦が「レイルウエイマン」について書いていた。もう上映は終わっているはずなので、なぜ今なのか分からないが、たぶん、ニコール・キッドマンが好きなのは公言しているので、それで観たのだと思う。
 英国の自然がきれいで、ニコール・キッドマンは美人だと書いているけれど、コリン・ファースにも真田広之にも一切ふれず、核心をはぐらかすような書き方に思えた。価値判断を保留したのだろう。それでも書くところが小林信彦という人に信頼が置けるところ。私はあの映画はよいと思う。