この夏、日本民芸館で濱田庄司の展覧会を観た。
日本民芸館は閑静な住宅地にあり、二階の窓を開け放てば、きっとよい風が通りそうだけれど、その窓ははめ殺しにしてあって、そうなると、空調を効かせても少し暑い。
たぶん、そのあたりに買ったと思う、バーナード・リーチの『日本絵日記』という本を読み終えた。

- 作者: バーナード・リーチ,柳宗悦,水尾比呂志
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2002/10/10
- メディア: 文庫
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1887年に香港で生まれ、幼い頃日本で暮らして、その後、22歳で再び来日して陶工となったバーナード・リーチは、多分、わたしたちのようなその辺の日本人より、はるかに日本を知っている。そして、その時代を考えると、今の日本人よりはるかに、日本を経験している。もっとも開かれた明るい時代から、もっとも閉じた暗い時代、そして、再出発の時代。
この本は、日本にとっての再出発の時代、1953年に再来日し、濱田庄司、柳宗悦、富本憲吉らと旧交を温めながら、日本を旅した紀行文。
このバーナード・リーチの旅から、もはや半世紀以上たった今の目でふりかえると、この再出発の時にあったはずの可能性、それは、その直前の戦争の災禍がよい対比となって見せてくれるものだが、それについて考えさせられる。
この旅は、おそらく柳宗悦が設えたものだろう。戦前に光化門を救ったのも柳宗悦だし、この人の、国際的な視野を持ちつつ、同時に深い日本文化についての洞察は、たぶん、もっと評価されてもよいのだとおもう。
この旅の圧巻は、やはり小鹿田の陶工たちとバーナード・リーチの交流だろう。
結局、尾形乾山につらなる陶工として、土をこねるものの一人として、バーナード・リーチは、日本を理解していると、納得できるエピソードだ。
イギリス人がこうして文化の違いを軽々と超えていく態度にはいつも敬服させられる。不思議だけれど、こうして日本的なものを深く理解しているバーナード・リーチの態度を観るにつけ、英国の精神というか、敬意を込めてジョン・ブル魂というべきなのか知らないが、とにかくそうしたものを感じさせられる。
世界は広いし、いろんな国のいろんな面白いものを観てみることは、すくなくとも、バーナード・リーチが来日した明治の末年よりは、ずっとたやすいはずなんだが、結局、こころがとらわれている人は、バーナード・リーチほど日本を知りも経験もしていないくせに、口に「日本」を連呼するばかりでこころは痩せ細ってゆく。国家主義者は滑稽。
バーナード・リーチが本国でどういう評価なのか知らないけれど、日本で陶芸を学んで、セント・アイヴズにそれを持ち帰った、この人の生き方は英国の側に視点をおいても面白い生き方だと思う。
こういう開かれた明るさを手にすることはいつでも誰でもできることだと思うし、ふりかえってみても、結局、そういうひとたちが社会を豊かにしてきたと思う。